クムジュンスクールで写真展示

僕が住んでいるクンデ村の隣村にクムジュンスクールという学校がある。この学校は、人類史上初めてエベレストに登頂したエドモンド・ヒラリーが、一緒に協力してくれたシェルパ族のために1961年に作った由緒ある学校だ。この地域の名門であるとともに、教育水準の高さから、かなり遠くからホームステイをしながら通いに来ている生徒もいる。

この学校で、ゴーキョやクンデで展示した、僕が撮ったシェルパ族の生活を撮影した写真を展示してもらうこととなった。


ネパール エベレスト街道 クムジュンスクール 写真展


ネパール エベレスト街道 クムジュンスクール 写真展

シェルパ族にとっては、自分たちの見慣れた生活の写真なので興味を示してくれないのかな、と思いながら展示したのだが、意外と面白がって見てくれた。たぶん、写真をプリントとして見る機会がないので珍しいのだろう。「これは俺の親戚の人だ」とか「私の家が写っている」などと話しながら見てくれている。


ネパール エベレスト街道 クムジュンスクール 写真展

この写真に写っている女の子、実は横に座っている女性の子供時代の姿だ。彼女はクムジュンスクールを卒業後、今年この学校の先生として戻ってきた。生徒たちから「ビフォー、アフター」などと冷やかされながら、非常に照れていたが、記念に写真を持って帰ってしまった(笑)


ネパール エベレスト街道 クムジュンスクール 写真展

クムジュンスクールにはもう30年ほど前に来たことがあるが、当時と比べて校舎が増えてる。そもそもクムジュンの村自体が大きく変わったので、それから見れば昔の面影を残しているともいえるのだが、世界のいろいろな団体から援助を受けながら大きくなっている。せっかくだから、校長先生に頼んで授業風景を見せてもらった。


ネパール エベレスト街道 クムジュンスクール 


ネパール エベレスト街道 クムジュンスクール 

学年はグレード1からグレード10と、その前に幼稚園がある。だいたい日本の学校制度と比べると、幼稚園から高校まである学校だ。この地域には高校は一校しかないため、グレード8から一挙に人数が増える。日本と違って、各グレードの試験をパスしないと上に上がれないため、同じグレードでも年齢はさまざまな生徒がいる。そもそも日本のように6歳になったら自動的に小学校に入学するというわけでもなく、家庭や親の事情などで入学が遅れる場合もあるし、学校に行けない子供ももちろんいる。

ネパール エベレスト街道 クムジュンスクール 

ネパール エベレスト街道 クムジュンスクール 


ネパール エベレスト街道 クムジュンスクール 

授業は教室の中だけでなく、天気がいいと外に出て「青空学級」が行われる。僕もここに住んでから実感しているのだが、日が照っている時には外の方が室内よりもよっぽど温かい。外に出た生徒たちは思い思いの格好で勉強する。中には崖の上にかたまって勉強しているクラスもあるが、広い校庭があるんだから何もそんなところを選ばなくてもいいと思うのだが…?


ネパール エベレスト街道 クムジュンスクール ヒラリー

校庭には、昔はなかった創設者のエドモンド・ヒラリー像が、シェルパ族の崇拝する神の山クンビラの前で黄金色に輝いている。ヒラリーが創設したときの目的であるシェルパ族の教育向上に、このクムジュンスクールは大きく貢献してきた。ここから優秀な人材が数多く輩出され活躍している。ヒラリーがエベレストに初登頂した当時はひじょうに貧しかった生活も、今ではネパールで一番リッチな民族になっている。昔、私が来たときにはまだそれほど英語も通じなかったが、クムジュンスクールはグレード1から英語を教えているため、今では子供たちも英語を話す。世界中からトレッカーが集まるので、英語が話せることが収入に直結している。ヒラリーさんも現在の状況を微笑ましく見ていることだろう。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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