ネパールの標高3840mプチ移住8日目、ターメに小旅行

住んでいる家のすぐ後ろには、人類史上初めてエベレストに登頂したヒラリーが作ったクンデ病院がある。この病院の紹介は今後するとして、ここの院長がクンデ村から歩いて2時間半のところにあるターメ村に自宅があり、毎週金曜日に帰宅する。自宅はロッジを経営しているというので、彼が帰宅するときに合わせて2泊3日の小旅行をしてみることにした。しかし彼の足では2時間半だが、実際行ってみたら5時間かかった(笑)


ネパール エベレスト街道 紅葉

クンデからはシャンボチェの丘を越えて、ナムチェに降りる道から分かれて谷筋に降りていく。雨季が終わったという報道があったが、天気は相変わらず悪い。

途中、葉っぱが紅葉し始めているきれいなところがあった。日本みたいに全山紅葉といった光景はないが、ここでも紅葉が見られるとは…。


ネパール エベレスト街道 ターメ


ネパール エベレスト街道 ターメ

途中の村々を見ながら「ビスタリ、ビスタリ」(ゆっくり)歩いていく。この道は30年ほど前に歩いたことがあるが、昔と比べて木々が大きくなっている感じがする。水力発電のおかげで、燃料としての木々を伐採しなくてもよくなったことが影響していると思う。


ネパール エベレスト街道 ターメ


ネパール エベレスト街道 ターメ

5時間かけてやっとのことでたどり着いたターメ。着いた日の夕方は天気が悪く一面霧だったので、ちょっと村内を見学しただけだったが、翌日は快晴となったため、裏の尾根に登ってみた。ここに立つと、昨日歩いてきたナムチェからの谷と、さらに中国国境に鎮座するチョーオーユー方面に上がっていく谷が一望に見渡せる。


ネパール エベレスト街道 ターメ 野口健


ネパール エベレスト街道 ターメ 野口健

2015年に起きたネパールの大地震では、このターメ地方はエベレスト街道で最も被害が大きかったところのようだ。この様子は有名な登山家、野口健さんが当時ここに滞在していて、その生々しい様子がブログで報告されている。http://www.noguchi-ken.com/M/2015/05/post-662.html

今は家も修復されているが、昔は2階建てだった家々も1階建てになっているという。新築された地域の集会所にも、寄付された野口さんの名前がしっかりと記されていた。


ネパール ターメ ゴンパ

断崖絶壁にはゴンパ(寺院)があり、スピーカーからは読経の声が聞こえてくる。行ってみると、ちょうど中ではラマ教の勤行が行われていたので見学。撮影は禁止だが、日本の仏教とは全く違う勤行で真剣に2時間見てしまった。


ネパール ターメ ゴンパ


ネパール ターメ ゴンパ

ちょうど12時に勤行が終わると、すぐにお坊さんたちは隣の食堂に移り昼食が始まる。あまりに熱心に見ていたので興味を持たれたのか、「お前も一緒に食べなさい」と誘っていただいた。昼食はフライドポテトと野菜炒め。お坊さんもフライドポテトを食べるんだ!


最終日の3日目。夜明け前に起きて、昨日行った裏の尾根にまた登ってみた。徐々にあたりが明るくなってきて、やがて正面に見えるテンカンポシェの頂上に日が当たり始める。ヒマラヤの雄大な光景に感謝感激!!!


ネパール エベレスト街道 トレッキング

さて、帰りも来た道を同じように戻らなければならないのだが、へとへとになりながら、やはり5時間かかった。

昨日、ターメですれ違った陽気な一団が同じ道を歩いていた。先頭にはギターを弾きながら、ものすごくゆっくり歩いている。こんな空気が薄いところにまで、重たい思いをしながらギターを持ってこなくても…、と日本人はきっと思うのだろうけど、やはり苦しいながらもこのくらい楽しんでみたいものだ。けっして僕はやらないけれど(笑)

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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