世界中からトレッカーが集まるエベレスト街道。その魅力は、ヒマラヤの山々を見ながら標高をあげていく醍醐味にあるのでは…。せっかくだから、道中の風景をお届けします。
今回アップする写真は、パンボチェから上の山々。プチ移住しているクンデ村やクムジュンからの風景はこれまで何度もアップしていて、なかなかの絶景なのだが、今回はそれよりも標高が高いところ。前にも書いたが、タンボチェまではあまり視界が開けていない急坂を上る苦痛の道なので、あまり山々は見えない。パンボチェを過ぎると川が二股になっている地点に差し掛かる。右がイムジャ氷河、左がクーンブ氷河から流れ出る川。ディンボチェ手前で川を超す。
ディンボチェを過ぎると、左手にタボチェ6542㍍(左)とチョラチェ6440㍍が並ぶふもとを上がっていく。この辺からエベレストベースキャンプまで、壮大なヒマラヤの山々が楽しめる。
そこから振り返ると、左にアマ・ダブラム(6856㍍)、奥にカンテガ(6779㍍)が連なって見える。シェルパ語で「母の首飾り」という意味のアマ・ダブラムはクンデ村から見ると独特の形をしているが、この付近から見ると、全く形が違って見える。右下にはペリチェの村が小さく見えている。
トゥクラ(4620㍍)に上がる手前で、クーンブ氷河の末端を渡る。巨大な岩がごろごろしているが、左にいる人と比較しても、その大きさがわかるだろう。
トゥクラからはクーンブ氷河の左側を登っていく。今までの緩やかな登りとは違い、急坂を登りきると、また一段、上の風景が現れる。
一段上がり、また緩やかな道になると、正面に三角形の形をしたきれいなプモリ(7165㍍)が見えてくる。ここからエベレストベースキャンプまでは、このような穏やかな道が続くが、標高は5000㍍を超えていく。
エベレスト街道最奥のロッジ村ゴラクシェプの手前で、道はクーンブ氷河のモレーンに上がる。モレーンとは、氷河が流れていくときに川のように両側を削っていくが、その時にできる土手のこと。モレーンの上からは、氷河が流れている様子がよくわかる。
クーンブ氷河のモレーンの上を登っていくと、エベレスト街道最奥のエベレストベースキャンプ(5364㍍)に到着する。エベレストから流れ出た氷河の横に、数百ものテントが並んでいる。今シーズンのエベレスト登山許可を申請した登山者は390人を超えたという。その登山者と、それを助けるシェルパなどがこのテントで準備を進めている。
氷河の下に降りていくと、氷の壁は見上げるほどの大きさ。あまり近づくと崩れてくる危険性がある。実際に、時々「ドスーン」と氷が崩れる音がしている。
エベレスト街道の拠点となる標高2840㍍のルクラ空港からエベレストベースキャンプまでは、高度順化の日数も含めると、最低往復12日間ほどかかる。長期休暇が取れない日本人にとっては、エベレスト街道のトレッキングはなかなか簡単に来れるようなところではないだろう。僕が30年前に来た時は、まだ高山病の研究が進んでいなくて、高山病にかかる日本人の割合がほかの国の人よりも圧倒的に多かったため、「日本人は民族的に高山に弱い」と言われていた。今回、クンデ病院の院長に聞いたら、笑って「日本人は長い休みが取れないので、高度順化をしないでどんどん上に登っていってしまうため、高山病にかかってしまう。民族的な差は全くない」と言っていた。シェルパの間では、日本人トレッカーはすぐわかるという。なぜなら「死にそうに歩いている」から。今回、欧米人トレッカーを数多く見かけたが、彼らは高度順化に時間をかけているので、上に登ってきても元気だ。それに比べて日本人は…。エベレストのふもとで、日本人の悲しい現実を感じるとは思わなかった。