エベレスト街道の村が激変していた!

昨日、エベレスト街道のトレッキングの最高峰カラパタールから見たエベレストについてアップしたが、今回は道中の様子を紹介する。30年ほど前にシェルパ族の村を訪れているが、この間の変貌ぶりに驚いてしまった。

1日目は、プチ移住しているクンデ村から標高3985㍍のパンボチェまで。途中休憩を含めないで、僕の足ではだいたい5時間と予想するが、今回はもっと時間がかかる。というのもクンデ村でポーターを探したが見つからず、自分で荷物を担いで歩くからだ。最近はシェルパ族もリッチになって、重たい荷物を担ぐポーターを誰もやらなくなってしまった。途中、まだシャクナゲが咲いていた。地元の人によると、今年は雨が多くてきれいではないらしい。

標高3250㍍のプンキテンガまでいったん降りて川を超す。チェックポイントがあり、入山料の証明書を見せる。上から自転車で降りてきたグループがいた。今ではいろいろな楽しみ方があるもんだ。

デボチェの立派なロッジ

クンデから荷物を背負ってのろのろ歩いて、4時間ほどでタンボチェまでたどり着いた。プンキテンガからこのタンボチェまではひたすら急坂を上っていく、退屈で苦痛な道で、かなりかったるい。エベレスト街道にはこのような急坂がナムチェバザールに上がる道と、そこからクンデ、クムジュンに上がる急坂があるが、できれば行き来したくない坂だ。

ちょうど昼時だったので、タンボチェで炒飯の昼食。隣に座ったドイツ人の若者とは途中で会ったが、高山病と軽い風邪をひいており、かなり苦しそう。予定では僕と同じパンボチェまで行くつもりらしいが、いったんここで休んだほうがいいと話し、タンボチェで泊まることになった。

タンボチェは昨年の「マニ・リンドウ」のお祭りでも来ているが、その時はロッジの部屋が満杯でテントで泊まった。ここにはロッジが5軒しかなく、トレッカーたちはこの下にあるデボチェのロッジ村に降りて泊る。昔はロッジなんてなかったと思うが、今では新しく立派なロッジが建っている。

タンボチェから1時間半ほど歩いて、今日の宿泊地パンボチェに無事到着。情けないが、自分で重い荷物を背負って歩いたので腰が痛い。

30年ほど前はタンボチェに泊って、次のディンボチェまで行ったので、パンボチェは通過しただけだった。その時の印象は、シェルパ族の粗末な農家が並んでいて、数軒のロッジがあっただけだったが、今では写真のようにロッジが立ち並ぶロッジ村に変わっている。昔の家を取り壊し、新たなロッジを作っている家もあった。

今晩のロッジは村の真ん中ほどにある「Highland Sherpa Resort」。このロッジがいいのは、ダイニングにアメリカから輸入した暖炉があること。まだまだ日が沈むと寒いので、ロッジがあったかいのはありがたい。

実はこのロッジで幸運に恵まれた。ここから近くにあるアマダブラムに登頂している登山家のポーターが降りてきて、登山家が登っている5日間はフリーだという。カラパタールまでポーターをお願いしたらOKしてくれた。これで自分で荷物を持たなくてもよくなった。

トレッキング2日目はディンボチェまで4時間ほどの道のり。このルートは緩やかに登っていく楽な道が続く。

途中、ヤクの放牧地が所々にある。家畜のヤクは、夏になると暑いので標高の高いところに移動して放牧される。その小屋は石つくりの粗末な小屋なのだが、30年ほど前のシェルパ族の家はこのような家がいっぱいあった。いまでは村の中でめったに見られなくなってしまった。

予定より早く、2時間半でディンボチェに到着。が、村の入り口で村の風景を見て驚いた。30年前に来た時は、シェルパスタイルの農家だった家々が、ほとんど巨大なロッジに変わってしまっている。エベレストを見に来る外国人トレッカーが年々増加していく中で、昔ながらの農業よりもロッジを経営したほうが儲かるということで、家をロッジに建て替えたのだとか。こんなにロッジばかりで部屋が余っているのではと思うが、シーズンのピークではほとんど埋まるという。それほどここ数年、トレッカーの数は増えている。

宿泊したロッジは「Hotel Tashi Delek」。なんと名前がロッジではなくホテルだ。といっても中はロッジとあまり変わらない設備。ただ昨年建て替えたそうで、まだ新しい。シェルパ族の伝統的な石を積み上げた家ではなく、軽い建材を組み立てて作っている。その建材はシェンボチェ空港に大型ヘリで運び、そこからポーターを動員して運び上げたとか。昨年泊ったゴーキョのロッジもそうだったが、これからは地震に強いこのようなロッジが増えていきそうだ。

午前中に着いてしまったので、午後はやることがない。散歩しながらロッジ村を見学していると、村の中に「CAFE4410」というしゃれた喫茶店まである。4410はディンボチェの標高だ。中に入ってみると、広い店内は白人でいっぱい。みんな午後はやることないので、ここでお茶を飲みながら休むんだろう。ナムチェバザールで知り合ったバリスタがいる新しいベーカリーでも驚いたが、まさかさらに標高が高いところでチョコレートケーキとカフェラテがいただけるなんて思ってもみなかった。しかもコーヒー豆はスタバの豆。ネパールにはスタバがないのでニューデリーから輸入しているのかと思ったら、なんと香港からだとか。世界中から観光客が集まるところはさすがグローバルだ。

3日目は標高5000メートルのロブチェまで約4時間の行程。トレッカーたちはだいたい同じころに出発するので、前後にけっこう人が歩いていて、狭い登山道では渋滞が起きる。村の風景は変わったが、道中すれ違う水や食料を人力で運ぶ姿は昔から変わらない。

ロブチェには昼頃到着。ただここには9軒のロッジしかないため、数軒満室で断られた後でやっと確保できた。ここでクンデ村のむかえの家のご主人とばったり会った。お客を連れて明日は峠越えしてチュクンというところまで行くという。

プモリをバックにゴラクシェプのロッジ

4日目はエベレスト街道最奥のロッジ村で標高5200メートルのゴラクシェプまで。この距離は2時間ほどで楽な道のり。しかし到着してみると、ここも部屋が満室でなかなか確保できない。ポーター君が頑張ってくれて、やっと一人部屋が一室空いているところを見つけてくれて助かった。シーズンのピークはすでに過ぎているのにこの状態では、ピーク時では泊まれない人もいるのではないかと思う。クンデ村の人も、ピーク時は団体客の予約で部屋がないので行かないほうがいいと言っていた。

毎年、訪れるトレッカーの数が増加していく中で、昔からロッジ不足は問題となっている。ではロッジを増やせばいいのでは…、と誰しも思うのだが、ここは国立公園内で、新たな土地にロッジを建てることは法律で禁止されている。現在ロッジが建っているのは、昔からシェルパ族が持っている土地で、今後法律が変わらない限り、ロッジの数は増えない。もともとシェルパ族の村はディンボチェまでで、それよりも高いところに村はなかった。ゴラクシェプもゴーキョも、もとはヤクの放牧地としてシェルパ族が土地を持っていたのだが、ヤクを飼うよりもロッジ経営の方が儲かるので、みんなヤクの放牧地にロッジを建てたというのが現在の姿だ。しかしすでに満杯状態。さて、エベレスト街道、今後どうなっていくのやら…?

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