隣村のクムジュンに買い物ついでに、再びクンデに戻ってきたという挨拶をしにクムジュンスクールに行った。そうしたら、すれ違う生徒たちが日本で使われているようなランドセルを背負っている。昨年まではランドセルを持っている生徒なんて一人もいなかったが、先生に聞いてみたら、日本のNPOが寄付してくれたのだという。
先生によると、高校生を除く生徒全員にランドセルを寄付してくれたのだという。それだけで200個以上の数になる。ランドセルといえば日本でもかなり高価な品物で、金額にしたらいくらかかったのかと思い、そのNPOのホームページを見てみたら、日本で使わなくなったランドセルを寄付してもらい、それを持ってきたものだとわかった。それにしても航空荷物代やクムジュンまで運び上げるポーター代だけでもけっこうな金額がかかっていることだろう。
このNPOは、日本の著名な登山家が代表を務めており、これまでもネパール大地震で被災したこの地域一帯に多額の援助を行ってきている。シェルパ族の方々はみんな、この代表のことを知っており、大変感謝している。僕も「すごい活動をしているな」と心の底から思っている。だから初めに言っておくが、けっして活動を否定するわけではない。
ただこのランドセルに関しては、ちょっと違和感がある。まずヒマラヤの山の中で日本のランドセルは似合わない。実は日本でも「なぜ小学生はランドセルで通学しなければならないのか?」という議論が昔からある。値段は高いし、重さや機能性からいってもリュックの方が優れている。一部の地域では、実際にランドセル廃止運動も起きている。
クムジュンスクールの生徒を見ても、全員に配られたはずのランドセルだが、リュックを使っている子もけっこういる。ある子に聞いたら「リュックの方が使いやすい」と言っていた。山岳民族の子供たちだから、初めて使うランドセルよりも、リュックの方が使い慣れているのだろう。
そもそもランドセルに違和感を覚えるのは、この学校でランドセルが本当に必要なのか、という疑問からだ。授業に必要なものの優先順位は、まず教科書であり、次に筆記用具あたりがくるのでは。また着るものもここでは重要だ。教室の中には暖房がないので、冬の時期は時には氷点下になる。昨年、僕の大家さんが中心となって、全生徒にジャケットを配布したが、これなども大変生徒たちにありがたがられた。
と考えてくると、ランドセルの優先順位はかなり低い。しかも今後のことを考えると、ちょっと心配だ。このNPOが毎年、新入生たちにランドセルを寄付するのなら別だが、来年度以降、ランドセルを持っていない生徒と持っている生徒の差が生まれてしまう。ランドセルはネパールでは手に入らないので、この差は年を追うごとに広がっていく。またクムジュンスクールの生徒だけがランドセルを持っていて、ほかの学校の生徒は持っていないという地域差も出てしまう。援助とはそういうものだ、と言ってしまえばそれまでだが、援助を受けた生徒と、受けられない生徒の差を少しでも目立たなくする配慮も必要だ。例えばこれが文房具だったら、これほど目立たなかっただろう。
日本の援助が現地の実情に合っていない例は、実は多い。ほかの国の話だが、ある日本の国会議員がお金を集めて、貧しい地方に校舎を建てた時、その国の最高権力者と会って、当然お礼を言われるだろうと思っていたら、お礼どころか「今後の学校の支援もしてくださるのでしょうね」と言われたという。この国会議員は「校舎を建ててやったのに」とプリプリ怒っていた。日本の援助は、お金やものをあげておしまい、ということが多いが、現地では、一時的な支援でなく、継続して運営できるような支援を必要としている。援助することはいいことだろうけれど、現地のニーズを調べてからでないと、こういったギャップが生まれてしまう。
さてこのクムジュンスクールのランドセル。今後いろいろ問題を生まなければいいのだが…。