カレン族の村

小学校での宿泊をし、今日はカレン族の村を訪れる。その前にジャングルの雲海を見に、ちょっと離れた高台に日の出前に向かう。


ミャンマー 雲海

熱帯の雲海

熱帯のミャンマーで雲海が見られるとは普通は思わないだろう。しかしミャンマーに限らず、他の国でも11月から2月の乾季の朝晩は相当冷え込む。あたりが赤く染まってきたころ、ジャングルの上に雲海が現れた。

カレン族の村の女の子たち


ミャンマー カレン村

村の中に入っていくと、学校に向かう児童たちとすれ違う。最近では、こんな山奥でも学校が建てられ、貧しい山岳民族の子供たちも通学できるようになったとか。




カレン族の村といっても特別な村ではなく、どこにでもある村だ。出会ったおじいさんはキセルをかっこよくくわえ、なかなか様になっている。村を抜け、山の畑の方に歩いて行くと、かごに子供を入れて歩いてくる母親とすれ違った。


ミャンマー カレン村


カレン族の娘たちが畑で待っていてくれた。しかも色鮮やかな衣装を着て。

カレン族はいくつもの種族に分かれており、それぞれ衣装が違っているようだ。ここの衣装は黒と赤が基調でなかなか美しい。普段着ているわけではないが、何かの行事などで着るために各自持っているという。


ミャンマー カレン村


ミャンマー カレン村

機織りで自分たちの民族の布を織ることは山岳民族の文化だ。若い子たちも機織りを学ぶ。


午前中、カレン族の村を訪問し、午後は次の目的地、象が住むキャンプ地に向かう。途中、シャワーを浴びていこうと言うから、どこかの家でシャワーがあるのかと思ったら、道路端に小川があり、そこで裸になっての水浴びだった。とてもワイルドで、フランス人夫妻はやらなかったが、せっかくだから小川に入ってみると、とても冷たくて気持ちがいい。暑い国ではあったかいシャワーよりも川で十分だ。

ジャングルで象トレッキング


ミャンマー 象トレッキング

午後4時、今晩の宿泊地に到着し、さっそく象トレッキングに挑戦。2頭の象がやってきてくれて、象使いの指示でちゃんとお座りをしてくれる。しかし象は大きくて、お座りされても象の背中に設置された椅子に上がるのに苦労した。




象の背中は結構乗り心地が悪い。象は山中の悪路でも力強く歩いて行くが、こちらに伝わる振動が不規則で、座っているだけでも疲れてしまう。また象の頭や背中に生えている毛は意外と固くて、ちくちくする。我慢しながら象の背中にしがみつきながら、山の中の家の前を通り過ぎていく。


ミャンマー 象トレッキング

象使いたちは、何気なく象の頭の上に乗っているように見えるが、後ろから見ていると、足を使って耳の後ろ側をつつきながら操っているようだ。アフリカ象は決して人間に操られないが、アジア象は賢くて、人間とコミュニケーションができるという。


道はなくなり、象は川を歩いて行く。狩りにでも行ってたのであろうか、川を歩いてきた村人とすれ違うが、当たり前のことのように通り過ぎていく。山の中で象とすれ違うなんて、すごいことだと思うのだが…。


ミャンマー 象トレッキング

今度は川から離れ、道なき道を上がっていく。アジア象のトレッキングはタイなどでもあるが、これはコースがちゃんと決まっていて快適なものだ。しかしこのミャンマーの象トレッキングは、本当に道がないところを進んでいく。象使いは鉈で植物や木の枝を切り払っていくため、なかなか前に進まない。こちらも結構傷だらけになってしまった。


ミャンマー 象トレッキング

傷だらけになりながら、とにかく早く象トレッキングが終わらないかなと思っていたが、結局1時間半もの長いツアーとなってしまった。やっと舗装道路に出た時にはほっとした。村人たちがバイクですれ違う。こっちがバイクで走っていて、いきなり道で象とすれ違ったらびっくりするだろうな。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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