バルーチャン水力発電所見学

昨日は昼間も夜も面白いものが見られたので、ロイコーが好きになってしまった。特段見るべきものもない街なのだが、もうちょっと滞在してみることにした。


ミャンマー ロイコー オンノゥカオスエ

朝食はオンノゥ・カオスエ

とりあえず朝食、ということで、小さな屋台が集まっているところに行ってみた。なんか見慣れない麺があったので注文すると、ココナッツミルク味のスープだった。名前をオンノゥ・カオスエというようだが、見た目以上においしかった。


ミャンマー ロイコー


ミャンマー ロイコー

市内の池は増水!?

朝食後、市内の中心部に大きめの池があったので寄ってみる。ここは市民のデートスポットのようで、数組のカップルがデートしている。しかし池の中心部を貫いている道が水没している。まだ雨季が明けて間もないので、水が引かないらしい。おかしかったのは、カップルがその水没した道を腕を組んで歩いている。足を濡らしながらデートしなくてもいいと思うのだが…。


ミャンマー ロイコー

この池の隣に入場料がいる(と言っても安いが)公園があった。中に入るとカヤー州の観光地がミニチュアで作られて紹介されていた。民族衣装を着た人形もある。ところでこの中に水力発電所のミニチュアがあった。バルーチャン水力発電所とあるが、これは昔、日本が作ったとどこかで聞いたことがある。こんなところにあったんだ、せっかくだからそうだ、今日はここに行ってみようと思いついた。


ミャンマー ロイコー ガソリンスタンド

バルーチャン水力発電所までは約1時間ほどらしい。まずはガソリンスタンドで給油。といってもミャンマーの地方では瓶やペットボトルに入ったガソリンをこのように入れるのが一般的。はじめは道端に赤や黄色のジュースが売られているのかなと思っていたが、それにしては瓶やペットボトルがすごく汚い。それがガソリンだった。間違って買って飲まなくてよかった。


ミャンマー ロイコー 

発電所までの道はそれほど難しくはなさそうで、ほとんどまっすぐ道を進んでいけばいいらしい。

途中ですれ違ったトラクターには農作業に向かうのか、荷台にいっぱい人が乗っている。ミャンマー版出勤風景。

バルーチャン水力発電所

バルーチャン水力発電所はロイコーから約30キロほど。太平洋戦争後の1954年、日本の戦後賠償で建設され、1960年に完成した。総出力168メガワットで、現在でもミャンマーの総発電力の1割を担っている。ということは逆に言うと、それほど発電所が作られてこなかったということだろう。今のミャンマーではそれほど停電が頻発しており、電力インフラは大きな問題となっている。

ところで当時、この水力発電所の建設現場はジャングルの中で、虎が出たりして大変な難工事だったという。だからきっと山深いところだろうと思っていたのだが、道は舗装されているし、全然山の中ではなくて拍子抜けしてしまった。


ミャンマー ロイコー バルーチャン水力発電所


ミャンマー ロイコー バルーチャン水力発電所


ミャンマー ロイコー バルーチャン水力発電所

この水力発電所は手前から第1から第3まであり、日本が作ったのは第2発電所。中に入って見学させてもらったが、発電機が並んでいる建物は確かに古そう。現在のミャンマーの電力事情はまだまだ大変そうだ。


ミャンマー ロイコー バルーチャン水力発電所

見学させてもらったのは日本が作った第2水力発電所で、この下流に中国が作ったという第3水力発電所があるが、そこは立ち入り禁止だとか。しかし第2発電所の裏にはちょっとした滝があった。地元の人たちは水力発電所にはあまり興味がなさそうで、この滝の方に向かっていく。確かに水は澄んでいてブルー、しかも涼しくて気持ちがいい。この辺が建設当時の面影が多少残っているところか。


ミャンマー ロイコー僧院

ロイコーの僧院

ロイコーの街に戻ってきたらすでに夕方。通りかかったちょっと大きめの僧院ではたくさんの僧侶たちが勉学に励んでいた。ちょっと興味があったので入ってみた。

入り口から右手にあった大広間では、一人の小さな坊さんが熱心に床にはいつくばって勉強をしている。奥では仏さまがしっかりと見ていてくれている。


ミャンマー ロイコー僧院




ミャンマー ロイコー僧院

大きな銅鑼が鳴るとぞろぞろと僧侶たちがこの広い大広間に集まってきた。仏さまに向かって列を作って座ると、一心不乱に各自がお祈りを始める。それが終わると一斉にひれ伏した。ミャンマーは小乗仏教なので日本の大乗仏教とは大きく違うのだが、結構な迫力だ。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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