タウンジーのバルーンフェスティバルも終わってしまったので、そろそろ次の目的地に移動することにした。次は南に位置するカヤー州の州都ロイコー。ここは昨年まで陸路で外国人は入れなかったところ。ライダーとしてはそういう道をぜひとも走ってみたい。
インレー湖東岸を南下
地図を見ると、タウンジーから南下する幹線道路があるようだが、今回はニャウンシュエからインレー湖東岸を南下していく道を選んだ。きっとこちらの道の方が湖沿いで気持ちがいいだろうと思ったのだが、それがまさに当たり、美しい風景の中、ツーリングが楽しめる道だった。
午前8時にニャウンシュエを出発したが、ちょうど学校が始まる時間のようで、通りかかった学校の校庭では朝礼をやっていた。普段、ミャンマー人はダラダラしているように見えるが、日本の朝礼のようにきっちりと児童が列を作っているのが意外だった。まあ野良犬が横で寝そべっているのはミャンマーらしいが…。
女性たちの稲刈り
このエリアではちょうど稲刈りの時期だった。女性ばかりが稲刈りをしていたので見ていると、若い女の子が英語で話しかけてきた。ミャンマーのような途上国では、私のイメージでは農家の子供は貧しくて学校に行けないという先入観があったのでびっくり。ミャンマー新政権でもスー・チーさんは教育の重要性を述べているが、最近ではかなり田舎の山の中でも学校が建てられ子供たちが通っているということだった。ただ若い女性ははにかみ屋なのか全く愛想がなかったが、おばあちゃんはとにかく元気で面白かった。
途中で見かけたこちらの女性は、頭に大きな荷物を載せて歩いている。おそらく農作業か、あるいは道路の舗装工事現場に”出勤”すると思われる。肩からぶら下げているかごには水や昼食が入っている。面白いのは、私はバイクを止めて写真を撮っているのだが、この女性は私を全く無視して歩いていく。よくほかの国では照れて逃げるか、あるいは好奇心で寄って来るかして何らかの反応があるのだが、やはりミャンマーの若い女性ははにかみ屋なのだろうか。
こちらは川での水浴び。ミャンマーの地方では日本のように家に風呂場はなく、川や池などでの水浴びが一般的。水浴びするときには裸にならないが、さすがに女性なので、写真を撮ってもいいかどうかジェスチャーで聞いてみると、控えめながらOKを出してくれた。黒の着物からするとパオ族の方々のようだ。
いつしかインレー湖も通り過ぎたようで、道は川に沿って進む。天気も良く、なかなかのんびりしたいいツーリングとなった。
途中ですれ違った人々はみんな素朴。この道は外国人が頻繁に通るところではないと思うのだが、おちゃめな表情で出迎えてくれる。
私が走っている道はこんな感じで、田園地帯を走っていく。インレー湖周辺は舗装されていたが、途中からダートになった。結局ダートの道は80キロほど続いていて、ロイコーに通じるタウンジーからの幹線道路に交わったところで舗装道路となった。
ミャンマーは農業国なので、牛の数が非常に多い。このように牛はときどき道をふさぐが、車やバイクが来ても決してどかない。仕方なく通り過ぎるまでこちらが待つしかない。まあバイクなら牛とぶつかったら間違いなくこちらが壊れてしまうだろう。
携帯電話のアンテナ設置工事が行われていた。その下にはこのような注意書きがされている看板がいっぱい張られている。しかしみんな英語で書かれているが、この地方で英語が読めるミャンマー人がどれほどいるのだろうか?ちなみに工事現場の責任者はネパール人だった。遠くの国まで出稼ぎに来ているのだな。
この地域は稲刈りが済んで脱穀作業に入っている。その作業を見ていると、仕事中の父娘が興味を持ったのか近寄ってきた。言葉は通じないが、笑顔で何かを話してくれる。最後に写真を撮ってくれと言われた。父娘、仲が良くていい。
しばらく走ると小さな村に入ったが、この村は道沿いにきれいな並木があり、とても美しい村だった。。こういう村を作っている村人たちは、先ほどの仲のいい父娘のような人たちなんだろうな、と想像しながら通り抜ける。
かわいらしい小さな教会がところどころに。中には教会と仏教寺院のあいのこみたいな建物もあり、いかにもミャンマーらしい。
この辺は仏教寺院よりも教会が多い。ミャンマーは仏教国となっているが、それは最大民族のビルマ族が仏教徒ということで、少数民族では意外とクリスチャンが多い。これはイギリス植民地政府がビルマ族に対抗させるために少数民族を重用したということもあるが、宣教師が地方を熱心に回り、布教活動したことが一番大きい理由だと思われる。
ロイコー到着
午後2時半、ロイコーと書かれたサインがあり、無事到着。ロイコーの街は高い建物もなく、派手な商店街があるわけでなく、本当に素朴な街だ。
この街は地球の歩き方にも載っていなくて、全く情報がない。とりあえず宿を探したいが、街を走っただけではそれらしい建物もない。そこで空港に行って聞いてみた。空港といっても小さな空港だったが。
しかし空港にいたイミグレーションの係官につかまり尋問される。どうやら飛行機でやってきたと思われたみたいだ。確かにバイクでここまで走ってきた外国人はまだいないだろう。空港で尋問に耐えながらも、やっと2つのホテルのありかを聞き出す。この街は観光地ではないのでホテルの数も少ないらしい。
教えてもらったのはKanTharYar Hotelというホテル。街の中心からは外れていたので、ちょっと走っただけではわからない。値段を聞くと一泊35ドル。田舎のホテルにしては高く、きっと外国人だと思って吹っ掛けているんだなと値引き交渉をするも、全く下げる気配なし。空港で教えてもらったもう一つのホテルはここよりも高いらしいのだが、いやならそっちへ行けという。結局言い値で泊まることに。しかし案内された部屋は広くて明るくて、結構快適。まあ良しとするか!
もう午後4時を過ぎていたが、せっかくなので市内をちょっと走ってみる。街は小さいが、歩いて回れるというほどの大きさではない。市内の中心を流れている大きな川を渡ると市場があった。この前を、農作業が終わった女性たちを乗せたトラクターが走っている。街中にはホンダの新しい販売店もあり、ちょうど新車を荷下ろししていた。ただ日本車はまだミャンマー人にとっては高値なので売れないだろうな?
昼食を食べてなかったので(というか、途中で食べられるような食堂もなかったので)夕食を食べに、宿で聞いたおいしいという中華料理屋に行く。「ロイコーシティ」という平凡な名前だが、店内は宴会が十分できるほどの広さはある。
店員とは言葉が通じないので、メニューから無難そうな酢豚を注文。味も無難。だが支払いの段階でもめた。原因はメニューに書かれた値段よりもだいぶ高かったからだ。先ほどのホテルのように、きっと外国人だと思って値段を吹っ掛けていると思ったので、店員に文句を言ったが言葉が通じない。そこで店主を呼んで抗議したら、英語を少し話せる店主が説明するには、豚がなかったので代わりにエビを使ったので高くなったと当然のように言う。日本だったら、初めに客に伝えるのだろうが、ここミャンマーではそういう発想がないらしい。まあ、これからこういうことが各地で起こるのだろうなと覚悟した。