マンダレーからピンウーリン

今日は購入したヤマハXTZ125の本格的テスト走行を兼ね、1泊2日でピンウーリンまでツーリング。


ミャンマー マンダレーーピンウーリン

午前9時15分、マンダレー市内の宿を出発。ピンウーリン目指して南東に進む。道は真ん中に大きな木が生えている分離帯があり、結構走りやすい。その大きな木の幹につる草がびっしり生えている光景は、まるでジャングルのようで、熱帯を走っているという実感がわく。


161116マンダレーーピンウーリン1

20キロほど走ったところでなんと雨が降ってきた。11月前半はまだ雨季が明けきれてないので時々雨が降る。雨宿りをしていると、トラック用の大きなタイヤを抱えたバイクが通り過ぎていく。いや、バイクでなんでも運ぶんだな!


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山中へ

雨も止み、再び走り始める。30キロほどで料金所が出てきて、ここから先は山道となっており、その道の整備費として車から料金を取っている。バイクは料金所のわきに抜け道が用意されており、料金はタダ。ミャンマーではこのような料金所が各地にあった。


161116マンダレーーピンウーリン4

山道に差し掛かったところで、トラックが止まっている。周りに大きな石を置いているので、どうやら故障して動けなくなっている模様。これもこの先、いやというほど見る光景となったが、ミャンマーでは整備不良のトラックやバスがたくさん走っているため、よく道の途中で故障していた。

ピンウーリンに到着


161116ミャンマー ピンウーリン1

ちょうど正午に急な坂道を登り切ってピンウーリンの街に入った。大きなゲートがあり、その前には3人の像が立っている。この3人はミャンマーの偉大な王様たちだそうだ。地元の若者たちもこの前で記念写真を撮っていたから、この街の象徴なのだろう。


ピンウーリンは太平洋戦争時代に日本軍の本部が置かれていたところで、今でもミャンマー軍の士官学校があるところ。軍の街といってもいい。ミャンマー軍の将来の幹部候補生たちが毎日、街の中を行進している。


161116ミャンマー ピンウーリン駅


161116ミャンマー ピンウーリン駅2

実はこの街でぜひとも泊まってみたいホテルがあって探しているのだが、なかなか見つからない。そんな大きな町ではないだろうと高をくくっていたが、バイクで走ってみると意外と大きい。しかもそのホテルを誰も知らない。探している途中でピンウーリン駅に出た。イギリス植民地政府はインドでもそうだったが、ミャンマーでも鉄道を作った。こじんまりしているが、なかなかおしゃれな駅だ。

「ヒロミホテル」宿泊




161116ミャンマー ピンウーリン.ヒロミホテル1

結局、市内を1時間半も迷って、やっとお目当てのホテルを探し出した。そのホテルがここ。「ヒロミホテル」といって、日本人のご主人とミャンマー人の奥さんが経営しているホテルだ。敷地内のコテージタイプの部屋があり、室内もかなり広く快適だ。来たかいがあった。


夜はご主人が日本食を食べに行こうと誘ってくれた。まさかこの田舎で日本食屋があるとは思わなかったが、連れていかれたところは台湾人が経営している中華料理のレストラン。コックが多少日本食の経験があったみたいで、ご主人がその後、味付けを細かに教えたのだとか。せっかくなので、かつ丼をいただいたが、さすが日本人が教えただけのことはあって、おいしかった。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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