妙蔵寺写真展から(堯英上人のビルマ遺骨収集)2


第2回ビルマ遺骨収集団

妙蔵寺住職だった故佐治堯英上人は1976年(昭和51年)、前年に続き、日本政府がビルマに派遣した戦没者遺骨収集団に参加した。ビルマでは、南シャン州の案内人を勤め、カヤー州の州都ロイコーやシャン州のカロー、タウンジー、インレー湖で遺骨収集をしている。


第2回ビルマ遺骨収集団


第2回ビルマ遺骨収集団

堯英上人の記録には、遺骨収集を撮影した写真が保存されている。上の写真はロイコーでの遺骨収集の様子。固い土を掘り返す作業は大変で、交代しながら進めていったようだ。昼食は護衛の兵士に守られながらということだが、そもそもロイコーに外国人が陸路で入れるようになったのが2年前のことだ。この当時、ここに入ること自体、かなり危険だったに違いない。


第2回ビルマ遺骨収集団

左の写真はシャン州のヘイホー空港からカローに向かうときの写真。説明には「強盗団が時々出現する峠」と書かれている。

私も実際この道をバイクで走ったが、山中をひたすら上っていく道で、今でも強盗、山賊が出てもおかしくないような道だった。


第2回ビルマ遺骨収集団


カロー

上の写真はカローの街。左が堯英上人が撮影した写真。右が現在のカローの街並み。比較すると、家々は増えているようだが、街並み自体はあまり変わっていないようだ。ミャンマーは長い間、軍事政権が続き、半鎖国政策や外国からは経済制裁を受けてきたので、40年以上たった今でもほとんど発展していない。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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