インド国境のタム

ミャンマーツーリング。カレイミョーから北に延びるインド・ミャンマー友好道路を約110キロ走ると、インド国境があるタムに着く。ミャンマーはタイ、中国などとは国境貿易が盛んだが、インドとは地理的に遠いため、それほどでもない。ここまで来ると、ミャンマーでも地の果てに来たという思いだ。

インド・ミャンマー友好道路


ミャンマー カレイミョーータム

午前7時40分、カレイミョーを出発。友好道路は舗装状態もよく、ミャンマーの地方道路の中でも群を抜いて走りやすい道路だ。沿道も大きな木の並木が続き、走っていても気持ちがいい。


ミャンマー カレイミョーータム 橋


ミャンマー カレイミョーータム 橋

しかし橋だけは古いまま。大型のバスやトラックが走るため、表面に敷かれた板がはがれている。橋の架け替えは時間がかかりそうだ。


ミャンマー カレイミョーータム インド 友好道路

道端にはインド・ミャンマー友好道路の標識が立つ。その道を牛車も歩いて行く。




ミャンマー カレイミョーータム インド 友好道路 教会


この地域はキリスト教徒が多いのか、教会を見かける。大小さまざまな教会がある。


ミャンマー カレイミョーータム インド 友好道路 

まっすぐ延びる道をXTZ125のアクセルを全開して走る。といってもスピードは80キロほどしか出ないが…。横の山並みはもうインドだ。




ミャンマー カレイミョーータム インド 友好道路 大豆

走っていると、バイクに大きなエンドウ豆のようなものをぶら下げたバイクが次から次へと国境の方に向かい走っていく。ものすごくでかい、おばけ豆だ。


ミャンマー カレイミョーータム インド 友好道路 大豆

インド国境


ミャンマー タム テンポ

午前10時45分、カレイミョーから110キロ走り、インド国境の街タムに到着。ここまで来ると、インドでよく見る3輪車のテンポが走っている。ミャンマーでこの車が走っているのはここだけだ。


ミャンマー タム インド国境

国境ゲートまではバイクで入れないため歩く。入り口は簡素な門のみで、タイや中国国境にあった大きなゲートのようなものはなく、比べると小さい。インドとの国境貿易は盛んではなさそうだ。


ミャンマー タム インド国境

突き当りまで進むと、そこがインドとの国境ゲート。インドの民族衣装を着たインド人がミャンマーに入ってくる。


ミャンマー タム インド国境

この小屋のような国境ゲートの前で写真を撮影していたら、イミグレの係官があわてて走ってきて捕まった。色々聞かれたが、質問を聞いていると、どうやら外国人がインド側から無許可でミャンマーに入ってきたと思われたらしい。それほどミャンマー側からは外国人は来ないということだろう。


ミャンマー タム インド国境


ミャンマー タム インド国境

国境では、大きな荷物を持った人が行き来する。こんな大きな荷物を人力で運んでいるのは大変だ!


ミャンマー タム インド国境


ミャンマー タム インド国境

なぜか中国語で書かれたりんごの箱が積まれている。中国国境からミャンマー領内を通り、インドへ運ばれるのだろう。しかし「水晶富士」というのは日本の商品名みたいだ。


ミャンマー タム インド国境 大豆

途中で見たエンドウ豆のおばけだが、みんなこの国境に運ばれて来ていた。頭からぶら下げている女性を後ろから見ると、豆が長い髪に見える。


ミャンマー タム インド国境 大豆




ミャンマー タム インド国境 インド料理

今回、タムに来ての楽しみの一つは、インド国境なので、ここで本場インドカレーが食べられるのだろうという期待。しかし見た限りではインド食堂らしいものは見かけない。地元の人に聞くと、一軒だけあるというので行ってみると、外観は何てことない食堂。中に入ると、あまりやる気のなさそうなご主人がインドカレーを用意してくれた。しかしナンではなく、ヤンゴンのインド人街で食べる米のカレーだった。ナンを食べたかったのでちょっとがっかり。

カレイミョーの得度式


ミャンマー カレイミョー 得度式

元来た道をカレイミョーまで戻ってくると、途中でまた得度式の行列に出会った。




ミャンマー カレイミョー 得度式


ミャンマー カレイミョー 得度式

ここでは牛車とともに、きれいに飾られた馬が使われていた。


ミャンマー カレイミョー 得度式


ミャンマー カレイミョー 得度式

男の子は馬で、女の子は牛車に乗っている。


ミャンマー カレイミョー 得度式

得度式の行列の最後から、男女がおどけて踊りながら付いてくる。なにやら滑稽な格好をしているので、面白おかしく何かを表現しているのだろう。前に見た得度式の会場でも、音楽付きの漫才のようなものが行われていたが、得度式でみんなを笑わせるのは、ミャンマーの伝統なのだろう。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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