ミャンマー初の世界遺産があるピィー

ミャンマーツーリング。ヤンゴンから再び北に向かって走り出す。目的地はミャンマーで初めて世界遺産に登録されたピュー王国の遺跡があるピィー。ミャンマーを代表するバガン遺跡を差し置いて世界遺産になった遺跡とはどんな遺跡なのか、期待は高まる。

ヤンゴンからピィーロードを北上


ヤンゴンーピィー ピィーロード

午前7時、ヤンゴン北部のホテルを出発。ヤンゴン市内の幹線道路ピィーロードに入り、そのまま北上する。ミャンマー独立後、クーデターを起こし、ビルマ式社会主義を始めた独裁者ネ・ウィンの故郷がピィーであったため、ヤンゴンとピィーを結んでいるこの道が整備されたという話だが、それでもこの程度。


ヤンゴンーピィー ピィーロード

沿道では田んぼで代かきが行われている。乾季のこの時期に代かきができるのは、灌漑設備が整っている証拠。日本では灌漑施設など当たり前のことだが、ミャンマーではこの灌漑施設の整備がされているところが少ないため、雨が降らない乾季に稲作ができない地域がかなり多い。水の利用はなかなか難しいのだ。


ヤンゴンーピィー ピィーロード 線路


ミャンマー ピィーロード 線路

ピィーロードと並行して鉄道が走っている。時々踏切があり交差しているのだが、そこで線路を見ると、見た目にも線路がゆがんでいる。ミャンマーの鉄道網は植民地時代にイギリスが作り、かなり地方にも延びている。しかしその後のビルマ式社会主義政策で外国と半鎖国状態であったため、鉄道は当時の状態で今でも使われている。鉄道網の整備は日本のJICAが援助したりしているが、まだ途中で古いまま。ミャンマーの鉄道は遅いと酷評されているが、この線路ではスピードを出せば脱線事故につながってしまうので、しかたないだろう。


ミャンマー ピィーロード 家

走っていると、大きな池の向こうに古い家が立っている。こういう風景はミャンマーの昔からある伝統的な農村風景で、個人的にはとても美しいと感じてしまう。家もなかなか立派そうで、地元の有力者の家だと想像できる。お願いだから、経済発展して行く中で近代的な家なんかに作り替えないでほしい。


ミャンマー ピィーロード バナナ


ミャンマー ピィーロード

バナナを持ってバイクの後ろに座るおばさん。ミャンマーではバイクの二人乗りはこうやって座るんだと驚く。


ミャンマー ピィーロード 寺院

チャイティーヨーのゴールデンロックを模した大きな寺院も登場。この手の寺院は時々各地で見かけるが、ミャンマー人はチャイティーヨーがほんとに好きなんだと思う。

ピィーに到着


ミャンマー ピィー

午後2時、無事ピィーの街に到着。ヤンゴンから250キロだった。中心部に入ると、やはりこの街にも金色に輝いているアウンサン将軍像がロータリーの中心に立っている。この街の将軍像は馬に乗っている。ピィーの人口は25万人という中堅都市で、歩いて回るには大きいが、バイクで回ればすぐに一回りできてしまうような規模だった。


ミャンマー ピィー Nawaday Hotel


ミャンマー ピィー Nawaday Hotel

早速、今晩の宿探しをする。バイクで走っているといくつか大きなホテルを見つけられたが、その中でこのNawaday Hotelに決めた。外観はかなり立派そうに見えるが、部屋は普通のミャンマー水準だった。


ミャンマー ピィー エーヤワディー川


ミャンマー ピィー エーヤワディー川

ピィーの街はエーヤワディー川沿いに発展している。さすがにミャンマーを代表する大河なので、今まで見てきた川よりも断然大きい。大きな輸送船も川を行き来している。


ミャンマー ピィー may ywet war レストラン


ミャンマー ピィー may ywet war レストラン

昼食がまだだったので、ホテルのスタッフに勧められたMay Ywet War レストランに行ってみた。ホテルからバイクで10分ほどの川に近いところだった。おいしいということだったが、外国人の私にとってはいつものミャンマー料理といった感想だ。

世界遺産ピュー遺跡


ミャンマー ピィー ピュー遺跡 スリ・クシェトラ

ピィーが有名なのは、この街の郊外にミャンマーで初めて世界遺産に登録されたピュー族の王国であるスリ・クシェトラ遺跡があるからだ。午後4時、昼食兼夕食を終え、日も少し傾きかけてきたが、世界遺産を今日のうちにちょっとだけでも見たかったので向かってみた。入り口には世界遺産を示す立派な石碑が立っているが、その前で放牧の牛が草を食べているのがミャンマーらしい。




ミャンマー ピィー ボーボージーパヤー 象

この石碑がある周りには、遺跡のレンガの壁しか残っていない。そこからバイクで10分ほど離れたところが遺跡の中心地で、かなり広範囲に遺跡が分散されているようだ。進んでいくと、いきなりトラックが道をふさいでいたが、なんとその荷台には象がいる。そのトラックの脇を何事もないように自転車を押しながらすり抜ける女学生。将来、もし彼女が外国に行って、この象の話を友達にすれば、その友達はすごく驚くに違いない。そしてこの象が普通にいる光景が、世界では極めて珍しいことだったと気が付くだろう。


ミャンマー ピィー スリ・クシェトラ

スリ・クシェトラ遺跡の中は、まだ道路が舗装されていない。その道を農作業を終えた牛車が通り過ぎていく。ここは世界遺産なのかと拍子抜けするぐらい、ミャンマーのどこにでもあるのどかな風景だ。


ミャンマー ピィー スリ・クシェトラ


遺跡内には簡単な説明板が設置されている。途中には小さなレンガ作りの建物があるが、これはレミャッナ寺院という名前らしい。


ミャンマー ピィー スリ・クシェトラ ボウボウヂー


ミャンマー ピィー スリ・クシェトラ ボウボウヂー

この寺院の先に、スリ・クシェトラ遺跡の中でも代表的なボウボウヂー・パヤーがある。パヤーというから寺院なのだろうが、ガイドブックを見ると、ピュー王国の領域の四隅を示す指標の一つだとある。高さ46メートルとかなり大きい。


ミャンマー ピィー スリ・クシェトラ ボウボウヂー

時刻はすでに午後5時過ぎで、日が沈む時間になってきた。通ってきた道には街灯もなく、近くに家もない。ここで真っ暗になって道に迷ったら危ないので、まだ明るさが残っている間に遺跡から出ることにした。帰り際、ボウボウヂーの高い塔が池の水面に赤く映っている。

世界遺産だから夕方になっても観光客でにぎわっているのかと思ったが、予想に反してほとんど人がいない。まだ遺跡の全容がわからないが、遺跡観光の楽しみは明日に残しておこう。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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