モーラミャインーからヤンゴンへ

ミャンマーツーリング。1か月以上にわたり、マレー半島の海沿いを走ってきたが、それも今日で終わり。モーラミャインからヤンゴンに向かう。しかしヤンゴンはバイクの乗り入れが禁止されている、アジアでも珍しい街だ。さあ、久しぶりのヤンゴンだ。


モーラミャイン

午前8時、モーラミャインのホテルを出発。見慣れた長い鉄橋を横に見ながら一路、ヤンゴンに向かう。昨日、友人といったタートンを過ぎ、そのまままっすぐ進む。


ミャンマー モーラミャインーヤンゴン 野焼き

午前11時、110キロところでチャイティーヨーへの道の分岐点にあたるチャイトーで休憩。この街の学校で児童たちが草を振り上げながら風を起こして火をあおっている。野焼きを行っているようだが、日本でこんなことをしたら子供の火遊びと非難を浴びそうだ。


モーラミャインーヤンゴン

チャイティーヨーに向かう参拝客を乗せたバスがひっきりなしに通るが、この道路沿いには大きなドライブインが国道沿いに並んでいる。さすがミャンマーを代表する巡礼地のルート上のことだけはある。


モーラミャインーヤンゴン

行きに通りかかったときに美しい風景だなと思ったが、その川沿いに走る道にまた差し掛かった。せっかくだからバイクを降りて川に降りる。沿岸にはホテイアオイの紫色の花が咲き誇っている。


モーラミャインーヤンゴン

行きの時には歩いている人もほとんどいなくて静かだったが、今日は橋のふもとで船で輸送されてきたスイカを陸揚げして活気があった。外国人が写真を撮っているせいもあるだろうが、みんな嬉しそうに作業をしている。


モーラミャインーヤンゴン スイカ

午後1時過ぎ、マンダレーとヤンゴンをつなぐ国道1号線に合流。道が断然広くなって走りやすくなる。沿道にはスイカを売る屋台がずらりと並ぶ。先ほど船から陸揚げしていたスイカは、このような屋台で行きかうドライバーに売られているようだ。


モーラミャインーヤンゴン


モーラミャインーヤンゴン

ヤンゴンに近づくにつれ、国道1号線は中央分離帯がしっかり作られている、ミャンマーではかなり整備された道となってきた。ただ道の周りは依然として農村風景。


ヤンゴン Winner Residence


午後3時過ぎ、ヤンゴン北部郊外にあるアウンミンガラ・バスターミナルに着く。ヤンゴンの市内中心部へのバイク乗り入れは禁止されてるが、この辺はまだバイクが走っているので大丈夫のようだ。ただここから市の中に入っていったら、おそらく交通違反で捕まってしまう。そこでバスターミナル近くにはホテルもあるだろうから調べるとWinner Residenceというホテルが見つかった。少し離れた住宅街の中にあるが、車の駐車場も広くあり都合がいい。特に気に入ったのが部屋だが、普通のホテルの狭い部屋ではなく、長期滞在できるように台所やリビングもついている。今後、もしバイクでヤンゴンに来ることがあったら、ここを定宿にしようと思った。


ヤンゴン空港


ヤンゴン空港

ホテルは新しくターミナルビルが増築されてきているヤンゴン国際空港の北にあり近いので、見学がてら行ってみることにした。空港まではバイクは乗り入れ禁止なのでタクシーで向かう。

新しくなった空港はミャンマーらしくない。最近経済発展とともにアジアの空港がみんな同じになってきてしまいつまらない。


ミャンマー ヤンゴン空港


ミャンマー ヤンゴン空港

ホテルの周りには食堂らしいところがないのと、2か月にわたる地方の旅だったので、ミャンマー料理に飽きてきた。そこで空港内にあるハンバーガを食べる。いつもそんなにおいしいとは思わないが、この時ばかりはほんとにおいしかった。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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