ミャンマー最南端タニンダーリ管区に入る

ミャンマーツーリング。今日はモン州のイエからミャンマー最南端のタニンダーリ管区に入り、ダウェイまで走ります。イエでは水上寺院がある湖を早朝散歩。ダウェイは古い建物が残る街を見学。

イエの早朝


ミャンマー イエ

午前5時45分。水上寺院がある湖に夜明けが訪れる。

湖の周回道路は早朝からさまざまな市民が通る。対岸からお寺に手を合わせる人。池に住む魚に餌を与える人。仏教に根付く生活をみんな送っている。


ミャンマー イエ




ミャンマー イエ 托鉢


ミャンマー イエ 托鉢


ミャンマー イエ 托鉢

しばらくすると、托鉢をする僧侶たちが歩いて行く。今まで見かけた托鉢は僧侶たちは一団となっていたが、ここでは一人で歩いている僧侶が多いようだ。市民は道端に出て、食事をお鉢に入れていく。


ミャンマー イエ 通学

托鉢の僧侶の姿が消えたころ、次は子供たちが通学しだす。ミャンマーの学生たちは緑のロンジーをはいているが、なかなかかっこいい自転車に乗っている。




ミャンマー イエ

道端に何かの実が大量に干されている。なんの実かよくわからないが、この地域の特産かな?


ミャンマー イエ 朝食

朝の散歩を終え、宿に戻り朝食。テラス席からは湖が見え、パアンの宿ほどではないが、なかなか気持ちがいい。この宿は満室で、ほとんどが白人の観光客なのだが、このなにもないイエに何しに来るのかよくわからない。しかも数日間滞在してゆっくり過ごしている。彼らの旅の仕方を見ていると、やはり日本人はせっかちなのだろう。

ミャンマー最南端のタニンダーリ管区へ


ミャンマー イエ-ダウェイ

午前9時50分、ホテルを出発。道はだんだん山の中に入っていく。道幅はトラックが1台通れるほどの広さだが、思っていた以上に舗装状況はよく、それほど苦労はしない。


ミャンマー タニンダーリ管区


ミャンマー タニンダーリ管区

午後10時半、イエから26キロのところで大きなゲートがあり、そこがモン州とタニンダーリ管区の境だった。看板には「タニンダーリ管区にようこそ」と書かれていて、ミャンマー人たちもこの前で記念写真を撮っている。ここにチェックポイントがあり、パスポートを提出した。見るのはいかめしい表情のイミグレーションの係官。今回ツーリングを始めて、初めてのチェックだったのでちょっと緊張したが、すんなり通った。昔の軍事政権時代には、外国人は管区や州を移動する際には届けなくてはならなかったのだが、開放政策により、それほど厳しくはないようだ。


ミャンマー イエ-ダウェイ


ミャンマー イエ-ダウェイ

道は一本道。途中の道案内には珍しく英語で表記が書かれていた。


ミャンマー イエ-ダウェイ 橋

州境から1時間半ほど走ったところに、非常に古い橋がかかっている。下を見ると木材のやぐらで橋を支えているので、よっぽど危ないのだろう。こんな橋がミャンマーにはいっぱいある。


ミャンマー イエ-ダウェイ 橋


ミャンマー イエ-ダウェイ 橋

そこからしばらく行くと、今度は新しい橋と古い橋が並行してかかっていた。古い橋はすでに通行止めで使われていない。橋のたもとに銘板があったので見ると、なんと1937年の橋だった。太平洋戦争前なので、イギリス植民地時代のものだ。つい最近まで使われていたのだろうが、ぜひこの貴重な橋を残してほしいものだ。


ミャンマー イエ-ダウェイ 僧院


ミャンマー イエ-ダウェイ 僧院

道沿いには変わった寺院や僧院があった。岩の上に仏塔が立っているが、この岩はかなり大きい。僧院の建物もあまり見かけないような形式だ。


ミャンマー イエ-ダウェイ ゴム園

南に行くほど、のっぽな林が登場。これはゴム園のようだ。この林の中にポツンポツンと家が立っている。おそらくゴム園の管理人の家だと思われる。南国らしい風景だ。

ダウェイ


ミャンマー ダウェイ


ミャンマー ダウェイ

午後2時45分、イエから135キロでダウェイの街に入った。街の入り口に鳥の形をした寺院と、その反対側には変わった塔がある小学校があった。


ミャンマー ダウェイ アウンサン将軍

街に入っていくと、道が左右に分かれている。どちらに行っても街の中心部に入るようだ。分かれる理由はそこに空港の滑走路があり、その外側を回っているからだ。

道を左にとって進むと、黄金色のアウンサン将軍像がロータリーの真ん中に立っている。ミャンマーの街にはだいたい将軍像があるので、だいたい街の中心部がわかる。


ミャンマー ダウェイ ホテル


ミャンマー ダウェイ ホテル

まずは宿探し。ダウェイは大きな街のようで、走っていてもホテルがいっぱいあるが、どれも施設に見合ってないような価格でなかなか決められない。その中で「ガーデンホテル」というところが場所的にも値段的にもよく決める。


ミャンマー ダウェイ 食堂


ミャンマー ダウェイ 食堂

昼食がまだだったので、夕食兼でホテルスタッフに聞いた食堂に食べに行く。「DAW SAN」というミャンマー料理屋で、ミャンマー人にはおいしいのかもしれないが、外国人には今まで食べた料理と比べてもそれほどおいしいとは思わなかった。だいたいホテルの従業員においしい店を尋ねると、ミャンマー料理屋を紹介される。地方にはほかに選択肢がないのだろう。


食事後、街を歩いてみる。中心部にひときわ威厳がある建物は、市庁舎。これはイギリス植民地時代の建物だろう。


ミャンマー ダウェイ 建物

その反対側には、屋根の上に変わったデザインの時計塔が作られている建物もある。これも植民地時代のもの。


ミャンマー ダウェイ 建物


ミャンマー ダウェイ 建物


ミャンマー ダウェイ 建物

ダウェイは、植民地時代にはこの地方の中心都市だったので、街中には当時の名残がある古い建物がいっぱい残っている。

今日通ってきた橋もそうだったが、ミャンマー人は植民地時代の遺産を大切に今日まで使い続けている。ただ経済発展の下、そういう遺産を古臭いものとしてどんどん壊し始めているのが残念だ。


ミャンマー ダウェイ 建物


ミャンマー ダウェイ 標識


ミャンマー ダウェイ 学校

中心部には大きな学校があった。この学校も古そうで、校庭はかなり広い。横断歩道の標識がロンジー姿でかわいい。


タイではセパタクロというが、ミャンマーではチンロンというスポーツをやっていた。けどすごい技だ。


投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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