ニューデリーに来てから、前にも一度、大雨が降ったが、今日も朝方から雷雨。乾季なのに低気圧が通過しているらしい。
午前中、民泊している部屋でぶらぶらしていたが、インドに来てからかれこれ1か月近くたとうとしているのに、ニューデリーをほとんど観光していないことに気が付いた。行動範囲が地下鉄のブルーライン沿線だけで、ニューデリー北部の中心地コンノートプレイスからオールドデリーにかけてと、今現在民泊している郊外という狭い範囲しか移動していない。
ということで、今日はちょっと観光してみた。まずはコンノートプレイスからぶらぶら歩きながら南に南下。
途中、道に停まっている車はインドを代表する、いや「していた」名車アンバサダーではないか! 街でなかなか見かけなくなったが、この辺は首都の中心地、今でも愛国精神の強いお方が大事に使っているのだろう。初めてインドに来た時(もう30年以上前)は、走っている車のほとんどがこのアンバサダーで、タクシーもこの車だった。このボンネットを開けると、中はスカスカのエンジンルームだったのを覚えている。
30分ほど歩いて着いたところがインド門。第1次世界大戦の犠牲者のために建てられた巨大な門だが、これといって面白いわけではない。この門の前の芝生でゆっくりしようと思ってきたのだが、周囲は現在工事中で、昔転がって昼寝をしていた芝生がなくなっていた。しかも門の中はきれいな花壇なんかが置かれていて立ち入り禁止。昔はこんなに整備されてなかったんだけどな…。大道芸や猿回しのおっちゃんたちがいて、それ見ながらみんなのんびりしていたが、すっかり観光地になっている。
さて次に来たところはラージガート。インドの独立運動を指導したマハトマ・ガンディーが暗殺されて火葬された場所だ。平日にもかかわらず、外国人だけではなくインド人も多く来ている。こちらもものすごく整備されてびっくり。昔はだだっ広い芝生の中に火葬された台があっただけだったが、こんなにきれいになっている。きれいすぎてインドじゃないみたい。
ところで、ガンジーのラージガートからすぐ北のところには2つのガート(火葬場)がある。左の方は初代インド首相ネルーの長女で、インド第5代、8代首相のインディラ・ガンジーの火葬されたところ。右はその長男で第9代首相のラジーブ・ガンジーの火葬場。どちらも暗殺されており、ガンジー家の悲劇として知られている。こちらのガートは訪れる人もなくひっそりとしていて、ガンジーのガートの賑わいと比べると寂しい限りだ。独立運動でインドを一つにまとめて戦ったガンジーと、国内の宗教対立で暗殺された2人とは事情が違うのだろうが、隣にあるのだからこちらにも来てもよさそうなものだと外国人の僕は思うのだが…。
アジアを回っていると、日本人と人間の死の考え方の違いを感じる。ヒンズー教は死亡し火葬されると遺灰を川に流してしまうので、日本のような墓は作らない。日本は墓を作って先祖代々の霊を弔うが、意外とアジアで墓を作る国は多くない。同じ仏教でもミャンマーやタイなどの小乗仏教は輪廻転生を信じ、死んだら生まれ変わると考えているので墓は作らない。日本では今、地方にある祖先の墓を継ぐ人がいなくなり、墓じまいをしたり、遺骨を処分したり、墓を巡る問題がよく話題に上っているが、その根底には墓は当然作るべきという考えがある。しかし墓を作らない国をこれだけ見てくると、別に墓なんかいらないんでは…、と思ってしまう。死んだ後も墓の中で狭く暗いところにずっと閉じ込められるより、ガンジス川に流されたほうが死後も自由になれるような気がするのだが…?
インドで観光しながら、最後はなんか自分の死のことを考えてしまった(笑)。