ラヘーからカムティに降りる

ミャンマーツーリング。ラヘーでの滞在も6日間に及んだが、ナガ族の正月も終わったのでカムティに降りることに。来たときはバイクタクシーだったが、命の危険を感じるのでン、帰りは車をチャーターして帰った。

ラヘー最後の朝


ミャンマー ラヘー ナガ族 正月

ラヘーで最後の朝を迎えた。今日もくっきりと晴れて、しかも冷たい。正月行事の会場に立てられているナガ族の象徴も今日でお役目御免だ。


ミャンマー ラヘー ナガ族 正月


ミャンマー ラヘー ナガ族 正月

博物館前にはナガ族の写真が大伸ばしされ飾られている。これは観光用に撮影されたものだろうが、Tシャツ短パンではないのでオリジナルの雰囲気はある。できればこの会場でこういう姿を見たかったのだが…。


ミャンマー ラヘー ナガ族 正月

通りに並んでいる屋台では、この寒さの中で売り子は寝泊まりしていた。日本でも映画「男はつらいよ」の主人公フーテンの寅さんはテキ屋稼業で、全国のお祭りを渡り歩いて屋台を開いていたが、まさにこれと同じ仕事なのだろう。


ミャンマー ラヘー

午前7時、カムティに降りる車を探すため、早朝から村人と交渉を始める。祭りも終わり、人々が帰る時なので車を見つけるのは難しいと思ったが、ちょうどカムティに帰る車があるということで交渉成立。


ミャンマー ラヘー


ミャンマー ラヘー

宿に戻って荷物整理。いつものように宿の食堂では仕込みが始まっている。黒い肉はおなじみのマイタンの干し肉炒め。タケノコのような植物は、バナナの茎を煮込んでいるのだろう。

カムティへ


ミャンマー ラヘー ナガ族


ミャンマー ラヘー ナガ族

午前9時半、チャーターした車が到着し、ラヘーを出発。車はここに来るときにも見かけた、インド・マヒンドラー製のピックアップトラック。この車を外国人4人でチャーターした。値段は一人10万チャット(約1万円)とミャンマーの物価ではかなり高額だが、安全を考えれば仕方ない。


ミャンマー ラヘー カムティ

ミャンマー ラヘー カムティ

これで6日間滞在したラヘーともお別れ。来た時と同じ危うい道を進む。


ミャンマー ラヘー カムティ


ミャンマー ラヘー カムティ

深い山。それでもこの過酷な土地に人々は住む。


ミャンマー ラヘー カムティ

途中で休憩。ところでマヒンドラの車は外国人4人がチャーターしたはずだったが、なぜか後ろの荷台に村人が何人か乗っている。この人たちからも多少の金額を取っているのだろうけれど、車が少ない山だから、みんなで利用。


ミャンマー ラヘー カムティ


午後12時半、山から平地に降りてきた。途中は急坂の危険な道だが、この辺まで降りてくればもう大丈夫だろう。家々も山深い村と比べると格段に良くなっている。


チンドゥイン川まで着いたとき、いきなり車を降ろされた。聞くと、車のチャーターはここまでだという。てっきりカムティの街まで行ってくれるのかと思っていたが、チンドゥイン川を車で渡るフェリーは高額なので、別料金という。


ミャンマー カムティ チンドゥイン川


ミャンマー カムティ チンドゥイン川

仕方なしに、歩いて小さなフェリーに乗船して川を渡る。行きと同じフェリーで、バイクも数台乗っている。


ミャンマー カムティ チンドゥイン川


ミャンマー カムティ チンドゥイン川

チンドゥイン川は相変わらずゆったりと流れている。この川が雨季に激流となり、太平洋戦争中に日本兵が渡れずに命を落としたとは、この流れを見ていると信じられない。


ミャンマー カムティ空港

川を渡り、カムティ空港に立ち寄ってみる。しかしもともと便が少ないうえに正月と重なっているため、どこに行く便も満席。


ミャンマー カムティ空港


ミャンマー カムティ


ミャンマー カムティ

午後3時半、カムティの街の中に入る。早速今晩の宿探しを始めるが、市内にある唯一のホテルは満室。仕方なくゲストハウスを探すが、次に行ったところも満室。だんだん焦ってきた。急いで次に行くと空きがあるというが、部屋はあまりよくない。どうしよかと迷ったが、とりあえず次の日にホテルに移るという選択肢も考え、1泊だけ我慢することにした。


ミャンマー カムティ チンドゥイン川


ミャンマー カムティ チンドゥイン川

部屋は狭く暗いので、宿にいても居場所がない。夕方散歩がてらに川沿いに出かける。ちょうど川では水浴びタイムのようで、ひっきりなしにバケツを持った人たちが降りていく。今日も一日無事に暮れていく。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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