ミャンマーツーリング。ベイに3日も滞在してしまったが、今日は先に進むことにした。次の目的地はいよいよミャンマー最南端のコータウンだが、400キロ以上離れているために1日ではたどり着かない。そこで中間点のボーピンというところを目指す。そこしか外国人が泊まれる宿がないらしい。
タニンダーリまでの90キロ
朝7時半、ゲストハウスを出発。地図を見ながら20キロ離れた大橋を渡り進む。しかし走りながら、どうも変だと感じ始めた。この道はダウェイからベイまで来た道で、完全に逆戻りしている。地図上では途中で南下する道の分岐点があるはずだが、いくら走っても現れない。12キロ走ったところで地元の人に聞いてみた。例のごとく言葉は通じないが、逆だと指をさしている。複数の人に聞いたが同じだった。
どうやら道を間違ったみたいだ。いつも走るときには紙の全国地図1枚とスマホの地図アプリ2種類を参考にしている。紙の地図はどうしても古いので大まかな目安として使い、細かいところは地図アプリを見るのだが、この2種類のアプリが時々違うのだ。今回は大橋を渡る手前で右折する新しい道ができており、それがアプリに反映されていなかったようだ。
結局、また大橋を渡りなおして、南下する道に入る。ここまで20キロほど無駄に走ってしまい、がっかり。
ところで、ベイからコータウンへの道は、つい最近までとてもバイクで行けるような道ではなかったらしい。
イエのゲストハウスのアメリカ人オーナーは、悪路過ぎて地元のバスでも大変で、行くのは止めなさいと言っていた。私が持っている、ちょっと古い地球の歩き方にも、陸路の移動はお勧めしないと書かれている。しかしベイのガイドによると、最近の舗装工事で道はよくなっており、大丈夫だということだった。まあ、悪路だったら引き返せばいいだけの話である。
今のところは結構いい道で何の支障もない。横断標識はまた新しい図柄を発見。こちらはロンジーをはいていた。
出発してから2時間ほどで小さな村を通過。どこにでもあるような村なのだが、村の入り口にあった黄色の仏塔とヤシの木の緑が美しく、思わずバイクを止めてしまった。こういうローカルな風景、なかなかいいんだよね。普通なら気が付かずに通り過ぎてもおかしくないが、何かが引き寄せてくれたのだろう。その偶然さに感謝を込めて
合掌!
止まったついでに休憩がてら、この村を見学してみる。道沿いに並ぶ農家は高床式で、牛車が格納できるように設計されている。家の下に飼われている牛や豚は日光の下に出てきてたまり水を飲んでいる。その前を放牧から戻ってきたのだろうか、水牛の一団が歩いていく。まさにミャンマーの典型的な農村風景だ。
村には仏教寺院のほかに教会もある。ピンク色したかわいらしい教会だ。ミャンマーでは少数民族にキリスト教徒が多いようだが、ここはビルマ族のほうが多いタニンダーリ管区内。だがこういう田舎にも布教活動をしに来た宣教師がいたということだろう。
こういう田舎の村で止まって休んでいると、村人が外国人と積極的に話しかけてきてくれるところと、遠巻きに興味津々で外国人を見ているところと分かれる。この村は後者のようで、写真を撮っていても、村人たちは遠くから見ている。子供たちも少し距離を置いて見ているが、一応笑顔で迎えてくれているようだ。
村を出て再び走り始める。周りの風景は徐々に変わってきて、山に同じような木が植わっている。何の木なのかはよくわからないが、風景としては南国にやってきたな、という気持ちにさせてくれる。
1時間ほど走ると、大きな川が出現し板敷きの橋が架かっている。地図で見ると、この川はベイで渡った大橋が架かっているタニンダーリ川の上流にあたるようだ。ちょうど2台の乗用車を乗せたフェリーが航行していた。このフェリーは小さいながらもなかなか立派で、今まで地方で見たことのないような船だった。
午前10時40分。この橋から間もなくして、初めの目標だったタニンダーリの街に入った。地図で見ると太字で書かれているのだが、高台にある寺院から見た街はとても小さな街だった。家々が道沿いに並ぶ風景をどこかで見たような気がしたが、思い出してみると、日本の福島県の大内宿に似ている。大内宿は茅葺屋根で、ここはトタン屋根に代わってしまっているが、雰囲気はそっくり。
この高台のふもとに、川を渡るフェリー乗り場があった。川を渡る船は人がびっしり乗っているが、こんなに満員で大丈夫なのかな?
パームヤシ畑の道
再び走り始め、午後12時45分、おなかがすいたので休憩。といってもタニンダーリを出てからは、昼食をとれるような村がない。仕方がないから、大きな小屋があるところで持っていた非常食のパンを食べる。目の前は道路の補修工事が行われており、この小屋はその作業員たちが使っていると思われる。地面には焚火の跡やごみが散乱している。ミャンマー人はごみを平気でその場に捨てるので、道端もごみだらけだ。ただ不思議なことに、この近辺には作業員が一人もいない。どこに行ってしまったのかな?
途中の村で時々教会を見かけるが、村によって建物はだいぶ違う。近くにいた子供たちはちょっとはにかみながら外国人を見ている。この辺では、それほど外国人は通らないだろう。この子供たち、着ている服はけっこういい。
途中、かなり大規模に新しい道を作っている工事現場があった。悪い悪いと聞いてきた道だったが、ベイからの道は想像していたよりも道路状況はよかった。ミャンマーでは現在全土で道路工事が行われているが、交通インフラの整備が国の発展に最重要課題だと認識されているのだろう。
何かの草を刈って運んでいる人たちを見かけた。そこで気が付いたのだが、モーラミャインからマレー半島に入り、一部の村周辺を除いて田んぼを見ない。これは細長い半島の地形が緩やかな丘陵地帯が続いているということなのだろう。
田んぼを見ない代わりに、その丘陵地帯はすべてこのような木が植えられている。南に行くほどこの木が増えてきたのは意識していたが、タニンダーリを超えたあたりからは、この木一色になっている。はじめ、この木が何かわからなくて、パイナップルかもしれないなどと思いながら走っていた。しかしオレンジ色した大きな実が道沿いに並べられているのを見て、これは何かの畑に違いないと確信した。後で調べたら、これはパームヤシといって、この実から食用油を取っているようだ。
午後3時半、きれいな川が流れている村を通りかかったときに、橋の上から川で水浴びをしている親子を見かけた。地方では家にシャワーなどないので、川での水浴びは一般的。風呂上りではなく川上がりでさっぱりして、気持ちよさそう。この昼間の暑さでは私も入りたい!
この水浴び場のすぐ近くでは、男性たちが屋根に上って屋根葺きを行っている。ベイのガイド宅近くで見た植物の葉っぱと同じだが、これを屋根に瓦のように重ねていく。村人の家なのだろうが、村人総出で協力しているのは、日本の茅葺作業と同じのようだ。
ボーピン到着
午後4時半、いきなり大きな寝釈迦仏が横たわる野原が現れる。近くには消防署もあり、ここから街らしくなっている。ようやくボーピンの街に入ったようだ。
しかし小さな街なのに、お目当てのゲストハウスがどうしても見当たらない。地元の人に聞いても言葉が通じないのか、わからない。走り回っていると、なんとダウェイの市場で見かけた白人の夫婦が自転車で走っている。思わずどこに泊まっているのか聞くと親切に連れて行ってくれた。
外観は普通の家。しかもミャンマー語でしか看板が出ていないので、ここがゲストハウスだとわからなかった。名前は「ロイヤル ゲストハウス」というが、この建物でよくロイヤルという名前を付けるなと苦笑してしまう。
案内された部屋はこんな感じ。ベニヤ板のドアは反っていて、しっかり閉まらない。まあ寝るだけだからいいか。ただ値段が1万チャット(約千円)だが、このレベルでは高すぎだろう。もちろんミャンマー人は半分以下だろう。外国人値段はミャンマーでは普通だが、少し吹っ掛けすぎで腹が立つ。
ちなみにトイレと水浴び場。どちらもミャンマー式で、横にためられた水をかける。
ところで紹介してくれた白人夫婦だが、フランス人だった。もう定年退職をしている年齢で、1か月間の予定でタイ国境のミヤワディからミャンマーに入国し、最南端のコータウンからタイに出国するまで自転車で走破するという。この暑い中、自転車でよく走るなあと感心してしまう。
夕食だが、隣にタイ料理屋があるということで行ってみる。あまりメニューの選択肢がないようなので、お任せにした。ただこの店はコーヒーが人気のようで、お客が寄ってコーヒーだけを買っていく。試しに注文してみたら、確かにミャンマーにはない甘い冷たいコーヒーでおいしかった。