オッパイ寺院

ミャンマーツーリング。モンユワからツーリングの拠点となっているマンダレーに戻る。今回はカチン州、チン州とミャンマー北部を周ってきた。すでに気温は40度を超えて、一年で一番暑い時期を迎えている。

モンユワの日本人墓地


ミャンマー モンユワ ホテル


ミャンマー モンユワ 

モンユワの宿は「ホテル チンドゥイン」。上からはアウンサン将軍像があるロータリーの交差点を見下ろせる、市の中心部にあるホテルだった。


ミャンマー モンユワ 朝食


ミャンマー モンユワ 

最上階にある食堂で朝食。ハトが街を見下ろしているのを見ながら食べる。


ミャンマー モンユワ 日本人墓地


ミャンマー モンユワ 日本人墓地

午前8時45分、ホテルを出発。市内に日本人墓地があると聞いていたので行ってみたが、ものすごくわかりづらい。しかもそこはゴミ捨て場となっていた。ミャンマー人の仏教徒は人が死んだら生まれ変わるという死生観なので、墓というものを持たない。骨はゴミとして捨てられるのだが、まさに墓がゴミ捨て場となっている状況は、日本人の感覚からするとやりきれない。

マンダレーへ向かう


ミャンマー モンユワ-マンダレー

モンユワからマンダレーまでは120キロほどと近い。しかもミャンマーでは大きな街を結ぶ幹線道路だけあって、道路の舗装状態はなかなかいい。のんびり走るが、ただものすごく暑い。最近はツーリングの途中で昼食を食べたいと思わないが、これは暑さであまり食欲がないからなのだろう。


ミャンマー モンユワ-マンダレー


道の分かれ道のところに、緑と青のカラフルな小さな小屋みたいなものがあり、そこで女性がお供え物を置いていた。何かと思って止まってみたら、中にはかわいらしい神様が2体祀られていた。神様というよりはお人形さんのような表情だ。ピィーの神様とも違うようだが?


ミャンマー モンユワ-マンダレー 洗濯

午前10時15分、モンユワから50キロのところで大きな川にぶつかった。地図で見るとMyinmuという街のようだ。チンドゥイン川はモンユワの少し下流で、マンダレーから流れてきたエーヤワディ川と合流する。Myinmuで見るこの川はすでにエーヤワディー川だ。川の上に大きな竹のいかだが浮かべられており、その上で母親や子供が洗濯や水浴びをして過ごしている。おそらくこの竹のいかだは、上流から切り出された竹をまとめていかだを組んで、下流に流してきた売り物なのだろう。


ミャンマー モンユワーマンダレー 若者


ミャンマー モンユワーマンダレー 子供

川岸では子供たちが元気に遊んでいる。今は学校が暑い時期の長期休み中。髪の色が金髪のヤンキー少年とその横に将来の美女がいた。


ミャンマー モンユワーマンダレー 野ウサギ


ミャンマー モンユワーマンダレー 野ウサギ

道端で、野ウサギがつるされて売られていた。何人かが売っていたので、この地域では野ウサギが獲れるのだろう。こんな道端で買う人がいるのかと疑問に思っていたら、車が止まり品定めをする客がいた。どうやらおいしそう…。

オッパイパヤー


ミャンマー ザガイン オッパイパゴダ


ミャンマー ザガイン オッパイパゴダ

正午前、ザガインの街に入る手前に、お椀をかぶせたような形の変わった仏塔が見えた。カウンムードー・パヤーという寺院だが、別名を「オッパイ寺院」と呼ぶらしい。確かにそういう形をしている。昔の写真があったが、かなり荒れ果てている。最近までは白かったというが、今は真新しい金色に輝いている。


ミャンマー ザガイン オッパイパゴダ

寺院の中に入ってみたら、中もキラキラ輝いていた。ご本尊様も金色に輝いている。


ミャンマー ザガイン オッパイパゴダ


ミャンマー ザガイン オッパイパゴダ タナカ


ミャンマー ザガイン オッパイパゴダ タナカ

参道にはタナカが山積みにされて売られている。この近くのシュエボーもそうだったが、この地域はタナカの産地のようだ。タナカを水でとぐ平らな石も山積みにされ売られていた。


ミャンマー ザガイン オッパイパゴダ 暑い


ミャンマー ザガイン オッパイパゴダ 暑い

しかしとにかく暑い!暑いのは人間だけでなく、犬も猫もいっしょ。

大都会マンダレー


ミャンマー ザガイン 


ミャンマー ザガイン 

オッパイ寺院から10キロほどで、エーヤワディー川を渡る大きな橋が見えてくる。ここがザガインの街。ここまでくると、対岸はもうマンダレー。


ミャンマー マンダレー

マンダレーに戻った。今回走ってきたカチン州やチン州のような辺境地から戻ってみると、マンダレーは大都会のように思える。一方で貧しい人々も多く、貧富の差を実感…。


ミャンマー マンダレー

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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