バガンからマンダレーに、出発点に戻ってきた!

ミャンマーツーリング。早朝、バガンで遺跡の中に昇っていく朝日とバルーンのシルエットを撮影した後、今回のツーリングの出発点だったマンダレーまで戻りました。ミャンマー最南端を折り返し、2か月ぶりに無事戻ってきたことに感慨深くなる。

朝焼けの中の熱気球


ミャンマー バガン 物売り

早朝5時半、ホテルを出て、まだ真っ暗な遺跡の中にバイクで入っていく。日の出を仏塔の上から見ようと思っていたのだが、道に迷って現在地が分からない。同じように迷っている白人のバイクがうろちょろしている。そんな外国人の姿を笑みを浮かべて見ながら通り過ぎていく物売りたち。


ミャンマー バガン シルエット

時間切れで仏塔の上に上がることはあきらめて、写真になりそうな場所を選ぶ。やがて太陽が上がり始め、仏塔がシルエットに。それと同時に地平線からわいてきたように観光用の熱気球が上がり始める。

エーヤワディー橋


ミャンマー バガン エーヤワディー川 橋


ミャンマー バガン エーヤワディー川 橋


ミャンマー バガン エーヤワディー川 橋

午前9時半、マンダレーに向けバガン出発。24キロ走ると、エーヤワディー川に架かる大橋が見える。この橋は中国が建設し、ミャンマーで一番の長さを誇るという。

バガン・マンダレー間


ミャンマー バガン-マンダレー


ミャンマー バガン-マンダレー

観光地として有名なバガンだが、ミャンマー第2の街マンダレーとの間には一直線に向かう道はない。ただ道は比較的走りやすい道であり、周囲は荒野だけでなく畑の緑も見られるようになってきた。


ミャンマー バガン-マンダレー 放牧


ミャンマー バガン-マンダレー ヤギ

畑では牛と羊が仲良く横並びをして草を食んでいる。離れたところにはヤギもいたが、よく見ると、立っているのもしんどそうな小さなヤギの子供もいる。生まれたばかりの赤ちゃんなのだろう。


ミャンマー バガン-マンダレー 線路


ミャンマー バガン-マンダレー 仏塔

緑のヤシの木の間から仏塔が見える。ミャンマーらしい美しい田園風景がここでも見られた。橋の真ん中に線路が引かれている。道路と鉄道それぞれに橋を作る余裕がないため、一つの橋を共有しているのもミャンマーらしいところ。


ミャンマー バガン-マンダレー ヤギ


ミャンマー バガン-マンダレー ヤギ

ミャンマーの地方では圧倒的に牛が家畜として使われているように思えるが、この地方ではやけにヤギを目にする。ある農家の庭先では多くのヤギがくつろいでいる。面白がって写真を撮っている外国人には目もくれず、のんびりしている。




ミャンマー バガン-マンダレー ミンジャン

バガンから64キロでミンジャンという街に入る。ここのアウンサン将軍像は脱帽していて、今まで見たことがないような姿だ。

2か月ぶりのマンダレー


ミャンマー マンダレー工業団地


ミャンマー マンダレー工業団地

マンダレーまで40キロのところに、いきなり広大な工業団地が出現した。といってもまだそれほど工場が建っているわけではなく、これからという感じ。


ミャンマー バガン-マンダレー 大仏


ミャンマー バガン-マンダレー 大仏

この工業団地の奥に巨大な大仏が立っていた。なぜこんなところにと思うのだが、近づくとミャンマーの普通の寺院とはちょっと違う雰囲気。大仏のお顔も心なしか現代風で、どこか新興宗教のような感じ。


ミャンマー マンダレー

午後2時45分、ミンジャンから走ってきた細い道から幅広い道路に合流した。2か月前にマンダレーから走り始めた国道1号線だ。何か懐かしいという気分で、高速道路のような道を街中に向けて走っていく。


ミャンマー マンダレー スシバー

午後3時半、前に泊まったホテルに無事チェックイン。日本食が食べられる街ではやはり夕食は日本の味。「Sushi &Bar」という店に行き、メニューを見ながらあれこれ悩む。そして注文したのがカツカレーとサバ塩焼き。とてもアンバランスなチョイスだと思うが、なぜか食べたかった。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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