世界最大の寝釈迦仏

ミャンマーツーリング。今日はモーラミャインからさらに南下。途中にある、世界最大と言われるウィンセントーヤ寝釈迦仏を見て、太平洋戦争で「死の鉄道」として知られる泰緬鉄道のミャンマー側の起点タンビュッザヤに向かいます。

モーラミャイン早朝散歩


ミャンマー モーラミャイン

今日も朝食前の早朝散歩。ゲストハウスを出ると、ミャンマー人の青年が自転車で出発する準備をしている。ミャンマーでも自転車ツーリングをやっている人がいるんだ。こういう青年の姿はいいね。


ミャンマー モーラミャイン

川沿いの道では、早朝の静けさの中、僧侶2人が座ってお話をしている。モーラミャインの街の雰囲気がなかなかいいと思えるのは、こうした川沿いの道が作っているのだろう。


ミャンマー モーラミャイン

荷物満載の貨物船に一列で乗客が座っている。主役は荷物。


ミャンマー モーラミャイン

世界最大の寝釈迦仏


ミャンマー ウィンセントーヤ 寝釈迦仏

午前9時半、ゲストハウスを出発。市内でガソリンを給油して、国道8号線をひたすら南下する。モーラミャインを過ぎると、ミャンマー最南端まで一本道となる。途中、大きな馬の像が寺院の入り口にあった。普通、狛犬か獅子なのだが、ここは馬だった。


モーラミャインから25キロ。まだ建設中の大きなゲートを入っていくと、ここが世界最大と言われる寝釈迦仏があるウィンセントーヤ。入り口にはずらりと並ぶ托鉢する僧侶の像が出迎えてくれる。


ミャンマー ウィンセントーヤ 寝釈迦仏

さらに奥に入っていくと、こちらも巨大なお坊さんの像。この方は、お寺と参拝者たちを守るというナインカヤーさんということだ。


さらに奥に入っていくと、なかなか悦に入ったお坊さんの後ろに巨大な頭が見えてきました。

噂にたがわず、確かに大きそう。これだけ大きいと何かのテーマパークみたいで、日本人の感覚でいうと、あまりありがたみがないように思える。しかしここには次から次へと乗り合いバスやトラックで一般庶民が来ている。しかもみんな熱心にお祈りをしている。


ミャンマー ウィンセントーヤ 寝釈迦仏


ミャンマー ウィンセントーヤ 寝釈迦仏

真横に来ると、よりその巨大さが分かる。全長183メートル、高さ28メートル。寝釈迦仏の枕となっている部分が8階建てのビルになっている。反対側にはまだ骨格状態の建設中の寝釈迦がもう一体あるが、こちらもビル5階建て分の高さがある。すでに20年以上も工事中らしい。いつになったら完成するやら?


ミャンマー ウィンセントーヤ 寝釈迦仏


ミャンマー ウィンセントーヤ 寝釈迦仏

寝釈迦仏の内部は入れるようになっていて、中には仏教の物語を再現した人形が飾られている。なかなかリアルなのだが、地獄図のところなどは槍が刺さって血が流れていたりして、結構怖い。


寝釈迦仏からさらに南下してムドンの街を通過。ちなみにこのムドンは有名な「ビルマの竪琴」で投降した日本兵が拘留されていた地だったと記憶している。

30分ほど走ると、いきなり左側に巨大な大仏が出現した。高さ55メートルで、こちらもまだ建設中のようだが、それほど参拝客でにぎわってはいない。ミャンマー人はこういった巨大な仏さまがお好きなようだ。

タンビュッザヤの泰緬鉄道博物館


ミャンマー タンビュッザヤ


ミャンマー タンビュッザヤ 車

午後1時。モーラミャインから60キロでタンビュッザヤの街に入る。特にめぼしいものはない小さな街。ミャンマー製なのか、あまり見たことがない、かわいらしいトラックが走っている。


ミャンマー タンビュッザヤ 泰緬鉄道


ミャンマー タンビュッザヤ 泰緬鉄道

このタンビュッザヤは太平洋戦争中、日本軍が連合軍の捕虜を使って建設した泰緬鉄道のミャンマー側出発点だった。この建設では過酷な労働で捕虜が次々と死んでいったことから「死の鉄道」と呼ばれている。

タイ側では映画「戦場にかける橋」の舞台となって観光地化されているが、ミャンマー側では2016年にこの博物館がオープンした。展示物は昔の写真や記事のコピーであまり面白みはない。地元では観光地として売り込みたいようだが、この展示物ではちょっと無理だろう。


ミャンマー タンビュッザヤ 泰緬鉄道


ミャンマー タンビュッザヤ 泰緬鉄道

博物館の庭には、本物のC56型蒸気機関車が展示されている。この車両は長い間ジャングルに埋もれていたものが発見され、整備し直したものだという。そのほか、日本人が立てた慰霊碑などもある。

ビーチリゾートのサッセに宿泊


すでに午後2時過ぎ。昼食を取ろうと通りがかったタイ料理屋に入る。タイ人のご主人おすすめの、魚一匹を揚げタイ風にした料理をいただく。なかなかおいしい。


ミャンマー サッセ

昼食を食べている間、今日の宿泊地を考えていた。さらに南下しようと思っていたが、ご主人の話では、ここから15キロほどのところにサッセというビーチリゾートがあるという。ミャンマーで初のビーチリゾート宿泊もいいなと考え、「21パラダイスホテル」に飛び込んだ。




ミャンマー サッセ

ホテルは日本のレベルでは、とてもビーチリゾートとは言えないが、ミャンマーではかなり立派。部屋は海岸に面したコテージタイプで、中も結構な広さだったのでかなり満足。


ミャンマー サッセ


ミャンマー サッセ


ホテルにはプールもあり、目の前のビーチは確かにリゾート風となっている。すでに午後4時だったが、早速海で泳ぐ。ビーチは幅がかなり広く気持ちがいいが、砂浜でなく、細かい土の浜でかなり固い。水も透き通っているほどの透明度はなく、ちょっと残念。


ミャンマー サッセ

少し泳いだが、想像していたようなビーチでもなく、日没も近づいてきたので部屋に戻る。その後、浜辺を散歩。ホテルの並びには漁師の村があり、ここの生活ぶりを見た方が面白そうだ。


ミャンマー サッセ


ミャンマー サッセ

小さな子供が耕運機の運転席で遊んでいる。ミャンマーの地方の子供たちはゲーム機など持っていないだろうから、実際の車もおもちゃとなる。小さいころから遊びながら運転の仕方を覚えていくのだろう。


ミャンマー サッセ アヒル

浜辺をアヒルの群れが1列になって歩いている。どうやら夕方になって、自分たちで家に戻っていくようだ。見張ってなくても、ちゃんと自分の家が分かって帰ってくるところがかわいい。


ミャンマー サッセ 

完全に日が落ち、浜辺も暗くなっていく。漁師村の子供たちは、それでも海の中で遊んでいる。どこの国でも子供たちは元気だ。

今日も無事、過ごせたことに感謝を込めて

合掌!

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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