古都バゴー

ヤンゴンまで70キロのバゴーまで南下してきた。ここは1369年から1539年までモン族の都として栄えた古都。その後、ビルマ族のタウングー王朝の支配を受け、1757年にビルマ最後の王朝となるコンパウン朝によって街を破壊されてしまったという歴史を持つ。寺院などがあまり古さを感じないのは、修復を重ねているからかもしれない。

忘れ去られていたシュエターリャウン寝釈迦仏


ミャンマー バゴー シュエターリャウン寝釈迦

バゴーで一番の見どころと言われているのがこの寝釈迦仏。994年にモン族のミガディパ王によって建立されるも、バゴー王朝の衰退とともに忘れ去られ、イギリス人に発見されるまでジャングルに埋もれていたという。

新しいミャッターリャウン寝釈迦仏


ミャンマー バゴー ミャッターリャウン寝釈迦

シュエターリャウン寝釈迦仏は屋内だが、そのすぐ近くに野外にある寝釈迦仏。見ていると青空の下で、気持ちよさそう。顔立ちはシュエターリャウンの方が目がくりっとしていて大きくかわいらしいのに対し、こちらはちょっと細めでいじわるそう。

チャカッワイン僧院で僧侶の食事


ミャンマー バゴー チャカッワイン僧院

午前10時、ミャンマー屈指の規模を誇るこの僧院を訪れる。ここでは1000人以上の僧侶たちが修行している。普通、僧侶たちの生活は垣間見ることはできないが、ここでは観光客も朝食の様子が見学できるという。


ミャンマー バゴー チャカッワイン僧院


ミャンマー バゴー チャカッワイン僧院

台所ではすでに大きな鍋で調理が始まっていた。1000人以上の食事となると、さすがに使われている調理器具も巨大だ。


ミャンマー バゴー チャカッワイン僧院


ミャンマー バゴー チャカッワイン僧院

ミャンマなどの小乗仏教では朝、僧侶たちは街に出て托鉢を行う。そこで得た食料を食べ、自分たちでは調理をしない。意外だったのは、僧侶たちは托鉢でいただいた食べ物を食べるのかと思っていたが、ここでは別に料理を作っていた。女性たちの専属コックもいる。




ミャンマー バゴー チャカッワイン僧院

料理が出来上がると鐘が鳴り、僧侶たちが一列に並び入ってくる。その両側には、僧侶たちに寄進を行う一般の人たちが並ぶ。ミャンマー人だけでなく、観光客だと思っていたタイ人や中国人なども参加していた。観光ガイドがいたので、托鉢の体験ツアーなのか、それとも僧侶たちに本当に寄進を願い出たのかはよくわからないが…。


ミャンマー バゴー チャカッワイン僧院

席に着いた僧侶たちが食べ始める。僧侶たちは、托鉢で使う自分の鉢をテーブルの下に隠すように置き、そこにご飯とおかずを入れて食べている。みんなで楽しみながら食べるという雰囲気ではなく、こそこそと食べているといった感じ。


ミャンマー バゴー チャカッワイン僧院

食事が終わると、すぐに席を立ち、それぞれの部屋に帰っていく。食べることは欲であり、そこに喜びや執着を見せてはいけないのだろう。なかなか辛そうな修行だ。

食事後はすぐに勉強が始まるみたいで、僧侶たちが手に本を持って集まってきた。ほとんどが若い人たちだが、食事の時の無表情ではなく、そこには若者らしい笑顔があった。学校みたいなところだから、厳しい中にも楽しみもあるのだろう。

バゴー中心寺院のシュエモード・パヤー


ミャンマー バゴー シュエモードパヤー

僧院を見学した後はバゴーの中心寺院に。道の正面には巨大な獅子が入り口の両脇を固めている。入り口のすぐ横には、ちゃんと有料のバイク置き場がある。参拝客が多いのだろう。

この寺院の歴史は1200年以上前だそうで、仏陀の遺髪2本を収めているという。


ミャンマー バゴー シュエモードパヤー

仏塔はかなり大きく感じるが、それもそのはず。ヤンゴンのシュエダゴン・パヤーよりも高い、高さ114メートルもあるという。シュエダゴン・パヤーよりも高くしてよかったんだっけ?

この仏塔の横に壊れた仏塔が展示されているが、これは1917年に起きた大地震で崩れたものだ。バゴーでは度重なる地震が起きているが、その修復で仏塔はだんだん高くなっていったようだ。


ミャンマー バゴー シュエモードパヤー


ミャンマー バゴー シュエモードパヤー

仏さまの前ではなぜか女性たちが熱心にお祈りしている。そして終わったらみんなで昼寝。ミャンマー暑いもんねー!

長ーい参道の奥にあるヒンターゴン・パヤー


ミャンマー バゴー ヒンターゴンパヤー

シュエモード・パヤーの奥に長い参道がある。ここは土足で歩けるらしいが、知らなかったのでサンダルを置いてきてしまった。仕方なく裸足で歩くが、15分ほど歩いた。途中、大きな井戸があり、そこで洗濯をしている庶民の姿が楽しめる。


ミャンマー バゴー ヒンターゴンパヤー

最後に階段を上るときれいな本堂があった。ここにはヒンターという神話の鳥がこの地に舞い降りたという伝説からヒンター像が祀られている。シュエモード・パヤーから離れているせいか、ここを訪れる人も少なく静かだ。


この寺院、見ていると中央の仏壇のようなところよりも参拝者が多いところがある。中に入ると、大きな女性の像がある。頭に水牛の角をかぶっていて、女性にしては何とも勇ましい。きっとミャンマーのナッ神なのだろう。


ミャンマー バゴー ハンタワディー


昼食は「ハンタワディ」

お腹がすいてきたのでお昼を食べる。観光客用の高級レストランと普通の食堂ではどのくらい味が違うのか興味があり、観光客に人気のここを選ぶ。すでに午後2時だが、まだ観光バスで乗り付けている客でいっぱいだ。ミャンマー料理や中華、タイ料理と幅広いが、これも観光客向けのメニューか。無難にミャンマー料理を選ぶ。お皿はおしゃれだが、味は想像通り…。

なんかよくわからないマハカラヤニシマ


ミャンマー バゴー マハカラヤニシマ

ここを訪れたが、よくわからないところだった。ガイドブックには、出家の儀式を行うところ、とある。しかし中に入っていくと尼僧が行き来しているので、ここで生活しているようだ。昔ながらの僧院のような建物と、大理石でできたホールのようなものがある。静かで涼しいところだった。


ミャンマー バゴー マハカラヤニシマ


ミャンマー バゴー マハカラヤニシマ

仏塔に登れるマハーゼディー・パヤー


市街地からはちょっと離れているところに大きな仏塔。創建は16世紀のようだが、18世紀に征服されたときに破壊され、さらに1931年の地震で廃墟になった寺院。その後の再建なので、見た目には新しい。


ミャンマー バゴー マハーゼディーパヤー


ミャンマー バゴー マハーゼディーパヤー

この仏塔は登ることができるが、これは男性のみ。急な階段を上がっていくと、眼下にバゴーの街並みが見える。街中を走っているとそれなりの大きな街のように思えたが、上から見ると木々に覆われた緑豊かな街だった。境内にはバガンのアーナンダー寺院を模したという仏塔があった(だいぶ違うと思うが…)。


ミャンマー バゴー マハーゼディーパヤー

午後3時を過ぎ、境内にはあまり人はいない。イスに座って夕暮れ前の静けさを味わっていると、姉妹が仲良くやってきた。見ていると、妹の方がのどが渇いたのか、水を欲しがっている。ミャンマーでは、街のところどころに壺が置いてあり、この中に水が入れられている。この壺の中の水を、お姉さんはコップに入れて妹に飲ませている。仲がいい姉妹の姿に心が和む。

トンネル回廊のシュエグーレー・パヤー


ミャンマー バゴー シュエグーレーパヤー

この寺院は外見からするとなんてことない寺院だが、中に入るとトンネルのような回廊があり、そこに64体の仏像が安置されている。知らないと通り過ぎてしまうような寺院だ。


ミャンマー バゴー シュエグーレーパヤー

実はこの寺院で気になったのは、前の駐車場にあった屋台に囲まれた樹木。この屋台は大きな菩提樹の周りを囲むように店を出しているが、その幹回りはかなり大きい。菩提樹はお釈迦様がこの樹の下で修業したということで、どこでも大切に育てられている。


巨大四面仏のチャイブーン・パヤー


午後5時、すでに日は陰ってきたが、最後にバゴー郊外にあるこの巨大四面仏を見たくて行ってみた。高さ30メートルもあるという四面仏は、遠くから見ても迫力がある。庶民の生活ぶりを仏さまが見ているような感じで、ミャンマーらしい風景だ。今日も無事、旅ができたことに感謝を込めて

合掌!

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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