ミャンマーツーリング。ミッチーナからさらに北上すること40キロ、ミャンマーを代表する大河エーヤワディー川の源流であるミッソンに行く。カチン州は現在、まだミャンマー軍と内戦中で、これ以上進むのはとても危険だ。このミッソンが今回のツーリングの最北部となる。
教会が多いミッチーナ
ミッチーナからミッソンに向かう。ミッチーナの北側を走っていると、立派な建物が見えてきた。表の表示によると、この建物はカチン州の議会のようだ。この道沿いには新しいアパートも立っており、街が変わりつつあるようだ。
ミッチーナは仏教寺院よりもキリスト教の教会のほうが圧倒的に多い。しかも教会の形は様々だ。
教会には学校が併設されているところも結構ある。グランドでは子供たちが元気に走り回っている。
ミッソンへの道で象と遭遇
ミッチーナの街から出て、田舎道を進む。道はそれなりに状態はよく、走りやすい。進んでいくと、前方で大きなものがゆったりとこちらに向かってくる。何かと思っていたら、象だった。道を何事もなく象が歩いているなんて、さすがミャンマー!
道ですれ違うトラックはかなり年代物が多い。よく走っているなと思うような状態の車もある。
道はだんだん平地から緩やかに登っていく。それにつれて、周りの風景はのどかになっていく。ただ、日本のどこかで見かけたような風景でもあり、なんとなく懐かしい感じがする。
今回のツーリング最北部ミッソン
ミッチーナから1時間半でミッソンに到着。駐車場が高台にあり、ミッソンが一望できる。ここミッソンはエーヤワディー川の源流とされる。上流から流れてくるマリカ川とメイカ川が合流しエーヤワディーとなる。
実はここには20年以上も前に来たことがある。現在は川沿いに小屋が立ち並び、この地域の一大観光地となっているが、当時は何もなく、観光客も少なかった。
2006年、当時のミャンマー軍事政権と中国政府はこのミッソンに巨大ダムを建設することで合意した。しかし発電された電力の9割は中国に送られるという不平等な条件に地元住民の反対運動が起こり、2011年、ミャンマー政府が合意を白紙に戻した。今でもここにはダム建設反対の意思表示がなされている。
河原では、子供が洗濯物を干している。たぶん、川で遊んで濡れたお客の服を乾かしているのだろう。子供でもちゃんと仕事をして生活費を稼いでいる。
ここはミャンマー人にとっての観光地。車座になってお弁当を広げ、みんなで昼食を食べている。昼間はかなり暑いので、車の中で食べているが、ヤギが「俺にもちょうだい」とのぞき込んでいるのがかわいらしい。
こちらもお腹がすいたので、食堂小屋でカチン料理を注文。脂っこいミャンマー料理と違い、あっさりした味付け。
ミッソンから北は戦闘が続いているので、ミャンマー人も陸路では行かないといわれていた。どの辺まで行けるのかと思い、ちょっとだけ進んでみたが、意外と道は拡張工事中で開発が進んでいた。ただすれ違う車もなく誰も見当たらないので、やはり危ないと思い引き返した。
ミッチーナに戻る
ミッチーナに引き返す途中、道の横に水道管を埋める工事がされていた。この工事は日本のJICAが援助しているようだ。ミャンマーのこんな田舎にも日本は貢献していた。
沿道で見る家々は、他の地域とちょっと変わっているように思えるが、家の姿はなかなか美しい。しかしかなり古く、廃墟寸前になっているところも多い。
走っている車もさまざま。左の3輪車は、たしかモーラミャインでも見かけたが、他ではあまり見たことがない。かなり古いものだと思う。逆に右は最近人気の中国製の電動バイクだが、日よけの傘がナイスアイデア!
ミッチーナの市内に戻ってきた。まだ時間があったので市内を見学。川沿いに日本人ゆかりの寺院があるというので行ってみた。この寺院は太平洋戦争で犠牲になった日本兵の慰霊のために2001年に建立されたと日本語で書かれている。カチン州では多くの日本兵が戦死した地であり、いまだに調査にも入れないところが数多く残っている。
中心部にある市場に再びやってきた。昨日と同様、すごい賑わい。ベトナム人のような傘をしている女性がいた。
市場に来るバイクは荷物を満載している。子供も乗っているが、荷物に隠れてよく見えない。バナナもこれだけ積めば、かなり重いだろう。
市場の周辺には、中国語が書かれた建物がいくつかある。ミッチーナは中国国境近くにあり、中国人も昔から多く住んでいる。20年以上前に来たときに、市場近くで「東京食堂」と書かれた看板を見た記憶があるが、今探してみても見当たらない。当時は2階建ての木造建物が多かったが、今ではコンクリートの建物が多くなり、すっかり変わってしまった。