エーヤワディー管区の州都パテイン

ミャンマーツーリング。今までパテインを拠点にあちこち回っていたが、肝心のパテインの街を見ていない。パテインはミャンマー第4の都市らしいが、いったいどんな街なのだろうか。街の中を流れるパテイン川を中心に、一日かけて見学してみることにした。

ホテルからすぐにある市場


ミャンマー パテイン 市場


ミャンマー パテイン 商店

朝、いつものようにホテルの2軒隣にある食堂で揚げパンとサムサの朝食後、そこからすぐ近くの市場を見学。市場は古そうだが、中はかなり広い。市場前には昔ながらの雑貨屋さんが店を開けていた。昔、日本でもこのような雑貨屋さんがあったが、今ではコンビニなどに押されて姿を消してしまった。なんかすごく懐かしい気分。


ミャンマー パテイン 市場

市場内に入っていくと、ほかの街とあまり変わらないような市場だった。開いていたお店では通学前に学生が楽しそうに大笑いしている。朝から幸せそうで何よりだ。


ミャンマー パテイン タナカ


ミャンマー パテイン タナカ

市場ではいろいろな人を見かけるが、この街の人はミャンマーの他の地域よりも顔に厚めのタナカを塗っているような気がする。タナカはだいたい頬っぺたに薄く塗ったりしてお化粧のようにおしゃれにしているのだが、ここでは本来の日焼け止めとしてかなりべったりと塗っている。

パテイン川沿いを散策


ミャンマー パテイン 川


ミャンマー パテイン 川

市場の裏はパテイン川が流れている。その川にはひっきりなしに人や荷物を載せた船が行き来している。


ミャンマー パテイン リキシャー


ミャンマー パテイン リキシャー


ミャンマー パテイン リキシャー

パテイン川に沿った道にでは、リキシャーやオートリキシャーなどが行き来する。市場に荷物が集まってくる活気が感じられ、喧騒が心地よい。

目の前を人力で走るリキシャがひっきりなしに走っていくが、荷台に米やほうきなどさまざまなものを載せている。すごく重そうだが、どこから走ってきたのだろうか。


ミャンマー パテイン 家


ミャンマー パテイン 家


ミャンマー パテイン 家

この川沿いの道には、かなり古そう建物が並んでいる。中には1962年創建のしるしや、中国語が書かれた建物もある。この街はエーヤワディー川のデルタ地帯の中心地として発展してきたが、おそらくイギリス植民地時代から今の形の街作りが始まったのだと想像できる。


ミャンマー パテイン 車

古いと言えばこの車、かなりボロボロで見るからに古い。耕運機をベースに後ろに車体をつけているが、運転席はかなりシンプル。




ミャンマー パテイン 消防車


ミャンマー パテイン 消防車

日本が寄贈した消防車もパテインで活躍していた。車体には日本とミャンマーの国旗がしっかりと描かれている。


ミャンマー パテイン 寺院


ミャンマー パテイン 寺院

なぜか地球儀が描かれた寺院も川沿いにある。かなり大雑把な地球儀だが、ちゃんと日本も描かれていた。

パテイン郊外に足を延ばす


パテインから30キロほど離れた郊外にバイクで走る。特に目当てはないが、エーヤワディー川のデルタ地帯を見て見たかった。細く枝分かれした運河のような小川が流れている。


ミャンマー パテイン 川 デルタ


ミャンマー パテイン 川 デルタ


ミャンマー パテイン 川 デルタ

デルタ地帯はミャンマー随一の穀倉地帯。ちょうど青々と稲が育っている時期だった。その田んぼの中に農家が点在する。


ミャンマー パテイン 川 家


ミャンマー パテイン アヒル

農家の屋根には草が生え、小川にはアヒルの群れが放し飼いにされている。のどかな田園風景。


ミャンマー パテイン 川

適当に走っていたら、大きな川に阻まれて行き止まりとなった。そこに小さな村があった。


ミャンマー パテイン 川


ミャンマー パテイン 


ミャンマー パテイン 店番

何か集会があるのだろうか。耕運機の荷台に大量のイスが積まれて運ばれていく。近くのお店では小さな女の子が店番をしながら勉強をしていた。


ミャンマー パテイン 


ミャンマー パテイン 教会

パテインの街に戻る。街の中には仏教寺院もあるが、立派な教会の塔もある。


ミャンマー パテイン 食事

午後2時過ぎ、昼食兼夕食で、適当に入った食堂で唐揚げと麺を注文。昼食時の混雑が終わって、客は誰もいないかった。私が入って行っても従業員はみんなでテレビを見ている。こちらが呼ぶまで知らん顔。サービス精神はゼロだったが、こういったお店はミャンマーではかなり一般的で珍しくはない。お客へのサービス精神はもう少し時間がかかりそうだ。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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