ムスリムの明るい村

ミャンマーツーリング。古都ミャウーともおさらば。元来たアンの街を目指して南下する。途中、小さな村でイスラム教徒だけの村を通過。ラカイン州ではロヒンギャ問題でムスリムへの風当たりは強いが、一般のムスリムは一体どんな生活をしているのか、寄ってみることにした。

ミャウー郊外のムスリムたち


ミャンマー ミャウーーアン イスラム教 村

午前8時半、ミャウーを出発。今日の道は数日前に走った道なので、途中立ち寄るところもなさそうだとのんびり進むことにした。道は工事区間が多いので、すぐに体が真っ白になるだろうと覚悟を決める。


ところが8キロほど走ったところで小さな村があり、イスラム教徒の格好をした人たちがいっぱい歩いている。仏教国のミャンマーでも、地方にはイスラム教徒が多く住んでいるのを各地で見てきた。ここではどんな生活をしているのか、興味を持ったので見学をしてみることにした。


ミャンマー ミャウーーアン イスラム教 村

村人も親切で、村の中を案内してくれる。小さな村にも学校があり、ちょうど授業をしていた。見知らぬ外国人の突然の訪問にも、みなさん笑顔で大歓迎してくれる。この辺はシャイな仏教徒とちょっと違うようだ。


ミャンマー ミャウーーアン イスラム教 村


この村の少女たちは髪飾りがみんなかわいい。


ミャンマー ミャウーーアン イスラム教 村


ミャンマー ミャウーーアン イスラム教 村

小さな学校では外で授業をしていた。よく見ると教科書にはミャンマー語ではなく、アラビア文字で書かれている。


実はこの授業はイスラム教のコーランを教えている授業のようだ。外で車座になってする青空授業はなかなかいい。イスラム教徒はこうして子供のころからコーランの教えを教わり受け継いでいくのだろう。

もともとミャンマーでのイスラム教徒はイギリス植民地時代に労働力としてインドから連れてこられ定住しだしたという。だから子供たちはミャンマー生まれで、普通にミャンマー語を話す。ムスリムだから女性は髪の毛を隠してはいるが、頬っぺたにはミャンマーの風習であるタナカをしていて、イスラムとミャンマーの文化が合わさっている。




ミャンマー ミャウーーアン イスラム教 村


ミャンマー ミャウーーアン イスラム教 村

村人はラカイン州独特の水壺を抱え、水くみをしに行く。




ミャンマー ミャウーーアン イスラム教 村

この村の周辺には大きな木がところどころに育っている。なかなか美しい風景だ。

イスラム教の村の見学を終え、再び走り出す。途中、菜の花が一面に咲く畑で、牛が脱穀をしている光景を見かけた。まさにミャンマーらしい田舎の美しい光景に感謝を込めて

合掌!


アンへ


ミャンマー ミャウーーアン 


ミャンマー ミャウーーアン 

前に通った、アンへ向かう道の分岐点。そして川幅の広い川にかかる立派な橋と、順調に通過していく。


行きには気が付かなかったが、川の中には小島があり、そこに小さな仏塔がある。その周りを小舟が行きかう。


ミャンマー ミャウーーアン 

アン到着


ミャンマー アン ゲストハウス

ミャウーから160キロ走り、午後2時半、無事アンのパラダイス・ゲストハウスに戻ってきた。前と同じように、日本語を話す女ご主人が笑顔で迎えてくれた。ツーリングでは同じ町に戻ってくることはあまり多くないが、出迎えてくれる人がいるのもなかなかいいものだ。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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