ミャンマーツーリング。マグェからいよいよアラカン山脈を越え、ラカイン州へ。アラカン山脈はミャンマーを代表する山脈。いままでは南部を旅してきたが、これからは西岸地域を旅する。
アラカン山脈へ
マグェホテルはなかなか快適で、部屋の前でバイクの水洗いなどもできてしまった。朝食はミャンマー式の豆ごはんとショウガの効いた揚げ物とシンプルだが、量は多い。
午前8時半、ホテル出発。
ホテル前の道を直進すると、エーヤワディー川にかかる大きな橋を渡ることになる。2週間前に訪れたMyathalun Pagodaは今回は橋の上から見る。
橋を渡り、エーヤワディー川に沿って北上。走っていると、バイクの後ろに壺をいっぱい乗せて走るバイクを発見。日本でのそば屋の出前のような感じで走っている。よく見ると、竹を組み合わせてクッションにしている。壊れ物の壺をバイクでうまく運んでいた。
マグェから10キロでミンブーという街に入る。何かの塔が中央に立つロータリーを左折し、いよいよアラカン山脈越えの道ミンブー・アン道路に入っていく。
この道路は、初めのうちは舗装もされていたが、途中からダートになり、舗装工事も延々と行われていた。その道を片方裸足で、釣り竿のようなものを持ったの人が歩いていた。
走っていると、遠くに見えていたアラカン山脈がだんだん近くなってくる。太平洋戦争中に日本兵もこの山脈を越えたとか。
アラカン山脈に入る手前の小さな街Thazinを通過。この街のアウンサン将軍像は新しく、周辺はまだ工事中だった。
アラカン山脈突入
いよいよアラカン山脈に突入。道はこんな感じで、思っていたよりかはよさそう。しかし交通量は少なく、対向車とほとんどすれ違わない。両側の木が今までのミャンマーの地方とは違い、葉っぱが大きな広葉樹に変わっているのに気づく。植生が変わったみたいだ。
マグェから75キロ走った午前11時40分、Goakkyi村という小さな村を通過。
道はだんだん山深く入っていく。なぜか山肌に木を切り取ったところがあるが、これはいったい何なのか?
ラカイン州に入る
マグェから約100キロ走った午後12時50分、マグェ管区とラカイン州の州境にあるチェックポイントに到着。ここでイミグレーションの係官によるパスポートチェックが行われる。この道を通る外国人は珍しいだろうから、厳しくチェックされるのかと思ったが、すんなりパス。しかしこんな山奥で仕事するイミグレの人もいやだろうな。
地図上では、アラカン山脈はそれほど高い山が連なっているわけではなく、あまり時間がかからずに通り抜けられるかもと期待していた。しかし日本ではトンネルや橋を作り簡単に通過できる山中も、ミャンマーではその技術がないため、くねくねとカーブが続く狭い道をひたすら走っていくしかなく、時間がかかる。
アン到着
午後3時、山を下りたところにもう一つ、チェックポイントがあり、またパスポートをチェックされた。これはアンの街に入るためのチェックのようで、そこから大きな橋を渡るとアンだった。約140キロを6時間半かかった。
橋を渡りしばらく進むと、まだ工事中のゲストハウスがあった。パラダイス ゲストハウスと書かれているが、敷地も広く、コテージタイプでよさそうだったので中に入っていく。受付に出てきた女性が日本のパスポートを見ると、「あなた、日本人ですか」ときれいな日本語で話しかけてきた。もともとヤンゴン外語大の日本語学科で学び、公務員のご主人と結婚してヤンゴンで暮らしていたが、経済発展著しいミャンマーで起業しようと、縁もゆかりもないこのアンでゲストハウスを開業したという。
チェックイン後、バイクで街を見学してみる。アンは街というよりは村に近いほど小さい。しかし川のほとりに緑の畑が広がる風景は美しい。街にはメインストリートのようなところはなさそうで、家々も点在している。
アンは、マンダレーからアラカン山脈を越えてくる道と、南から海沿いの北上してくる道が合流する交通の要所。ここに広大な国軍の基地がある。ちょうど学校が終わり下校タイムに、軍のトラックが児童たちを乗せて送っていた。ミャンマーでは軍が送り迎えをやってくれるようだ。
下校中の子供たちが珍しい外国人を面白がってちょっかいを出してくる。ここにはどう考えても外国人はあまり来ないだろう。あのゲストハウス、大丈夫かなと思ってしまう。
アンの街を走っていると、山の上に仏像が見えた。どんなところか見に行くと、道のカーブのところに、まるで通過していく人たちをチェックしているかのようだ。いや、温かく見守っているのかもしれない。
夕方、ゲストハウスに戻って、女主人とお話しながらの夕食。ここにはタイ料理を作れるコックがいるということで、タイ料理を注文。翌日からはアンから北上し、ラカイン州の州都シットウェーまで行き、またアンに戻って南下する予定。帰りもここに泊まろう。