ミャンマーツーリング。といっても今回はバイクをマンダレーのヤマハに修理に出し、飛行機でザガイン管区のカムティまで飛ぶ。そこからバイクタクシーで4時間かけて、ナガ族の街ラヘーに向かう。ナガ族の正月行事がこの後行われるためだ(毎年開催時期がずれるため、今年は2月のようだ)。
ザガイン管区カムティ
午前5時、マンダレーのホテルを出発。約1時間かけてマンダレー国際空港に向かう。午前7時離陸予定のミャンマー航空でカムティ空港に行く予定だったが、1時間10分遅れで出発。
カムティ空港に到着する手前で大きな川が見えてきた。チンドゥイン川だ。太平洋戦争の時にインドのインパール攻略を目指しこの川を渡った日本兵たちは3か月後、敗走してこの川に戻ってきた。しかし病気にかかったり、餓死寸前の兵士たちは、雨季に入り増水していたこの川を渡れずに多くが流されたという。
カムティ空港
午前9時40分、カムティ空港到着。ものすごく小さな空港で周辺には何もない。到着後、外国人は空港内のイミグレーションの係官にパスポートを提出し登録。ミャンマーでは国内移動でもチェックされる。
ナガ族の彫刻
2015年にここでナガ族の正月行事が行われた時の会場。
今回、ここに来た目的は、インド国境付近に住むナガ族の正月行事を見学するためだ。今年はラヘーという村で行われる。当初カムティで一泊して、明日車を探して向かおうとしていたが、たまたま空港で知り合ったナガ族の人に聞くと、早く行かないとラヘーでは泊まる場所がないとのことで、今日のうちに向かった方がいいというアドバイスを受けた。
空港で出会った方が親切な方で、これから自宅に戻るがお昼を一緒に食べないかと招待してくれた。行ってみると、ナガ族の博物館がある広場のすぐそばが自宅だった。
自宅ではすでに連絡がいってたみたいで、すぐにテーブルに数多くの品が並ぶ。招待してくれた方はナガ族の実力者の奥さんだったらしく、部屋にはご主人の写真が飾られていた。残念ながらすでに亡くなられたということだった。
バイクタクシーでラヘーへ
食事後、ラヘーに向かうために車を探すがなかなか見つからない。山の中の小さな街には、そもそも高級である車がそうそうあるわけではないし、あったとしてもすでに使われてしまっている。
仕方なしにバイクタクシーで行くことにした。ラヘーまではだいたい4時間ほどだという。金額は5万チャット(約5千円)と、ミャンマーではべらぼうに高いが、どう探してもそれが一番安かった。ただこの後、ものすごく後悔することになるのだが…。
ボロボロのバイク
カムティの街は飛行機から見えたチンドゥイン川のほとりに発展した街。この街をもう少し見たかったが、それは帰りの楽しみにとっておくことにした。
正午、出発。しばらく川沿いに沿って走ると、フェリー乗り場があった。ここでバイクごと船に乗せる。こんな小さな船で揺れたりしたら、バイクごと川に放り出されると思ったが、大きな川だけあって、水面はゆったりと流れている。
午後12時15分、チンドゥイン川を渡る。渡ったところは街道筋の村のような感じで、大きな家が道沿いに並んでいる。江戸時代の街道もこんな感じだったのかな?
道はもちろん舗装などされていなかったが、始めのうちは大きな橋も架かっているなど道は普通だった。しかしやがて山に深く入っていき、だんだんとんでもない道になっていった。
道はジグザグに山肌を刻んでいる。日本ではあまり見ないほどの急坂だ。普通、急坂を下るときはギアを落としエンジンブレーキを使って減速していく。しかしバイクタクシーの運転手は、信じられないことに下りでアクセルをふかして、ものすごいスピードで下っていく。
もしかしてこの運転手は天才かも、と恐怖を感じながらも思っていたら、なんとカーブで思いっきり転倒した。やはり単なるスピード狂だった。
足を多少切った程度で済んだが、この後は命の危険を感じながらの乗車となった。幸運にも転倒は一回だったが、道中は土煙がすごくて、全身は真っ白け。村人はマスクをしていたが、用意してなかったので口の中も砂でざらざら。
こんな無謀な運転をしているので、バイクのエンジンが悲鳴をあげている。時々家があるところで休憩するが、そこでバイクのエンジンに水をかけてやらないと、オーバーヒートでエンジンが壊れてしまう。
途中で見かけたトラックはマヒンドラーと書かれている。これはインド製のトラックで、インドではよく見かけた。考えてみればここはすでにインド国境に近いところで、インド文化圏のようだ。
かなりの山の中に入ってきた。
ラヘー到着
午後3時45分、山の斜面に広大な焼き畑の跡が出現。ここがラヘーの村の入り口だった。平地はないので、米はすべて陸稲だから、今でも山を焼き払い、その灰を肥料にして米を育てているのだろう。
村に入っていくと、中心部に広場があり、その入り口にはすでに正月行事用のゲートができている。ゲートは辺境地の山岳民族が行う行事にはふさわしくない、ごく普通のゲートだった。
男の人が洒落た服を着て歩いていた。こんな山の中でファッション性の高い服を見かけるとは思わなかったのだが、実はこのデザインはナガ族の昔からのものだそうだ。
ナガ族は昔、人狩り族として恐れられた民族だった。腰にわずかな布を巻いただけの体に、動物の骨を装飾品として付けた異様な風体の民族だった。
ところで、今晩の宿が見つからない。こんな山深い村ではもちろんホテルなどの宿はなく、民家に頼んで泊めてもらうしかない。ただ正月行事はナガ族が遠くからラヘーに集まってくるため、すでに空いている家がないのだという。
広場の近くにカウンターを設けていたイミグレーションの係官も、外国人の観光客のためにいろいろ奔走してくれたがなかなか見つからない。旅行代理店に申し込んだグループは、事前に村の大きな家を借り上げ、そこにベッドなどを入れて宿泊できるようにしていた。が私のように飛び込みの観光客は自力で探すしかない。
散々探したところ、一軒だけ外国人に開放してくれた民家があった。行ってみると、庭先を食堂にしていた。これは食事にも困らないのでなかなかいいところが見つかったものだ。
早速、ここで夕食を取る。この地域特有の牛という肉があるということで、それを注文。なかなか美味だった。