タウングーの朝は早く目が覚めたので、近くを散歩してみることにした。ホテルは住宅街の中にあり、適当に歩き出した。
寝釈迦のお目覚め
10分ほど歩いていくと、寺院の門があったが、その門の上にかわいらしい白い象の置物が飾られている。私は象の置物好きなのだが、なかなかかわいらしいので、この寺院の中に入っていった。
寺院の中は小さな仏塔があるが、それ以外は奥に家が建っているだけで、僧侶の姿もない。しかし番犬に見つかり、激しく吠えられていると、家の中から人が出てきた。その人が指さした方を見ると、庭のさらに奥に小さな寝釈迦仏があった。朝日の柔らかい光の中で目覚めたばかりのようだった。
散歩は45分ほどで切り上げ、ホテルに戻る。。実はこのホテルの朝食が素晴らしく、ぜひ泊まってみなさいと勧められ、わざわざタウングーに立ち寄ったのだった。さて席に着くと、次々と小皿が運ばれてくる。ミャンマーのスナックやお菓子といったものだ。一皿の量はそれほど多くないので、いろいろ食べられて楽しめる。数えたら15種類並んだが、さらにこれにパンケーキとトースト、希望すれば焼き飯が出るという。朝食でこれだけ出れはそれは満足感でいっぱいになる。
幹線道路の観察
朝食で、ドイツのフォトグラファーと一緒になった。なんでもガイドと一緒にミャンマーを撮影旅行しているといい、これからネーピードーを通りマグェまで行くという強行軍だ。途中で近くにある象のキャンプに寄っていくという。そんなのがあるのかと思い、ちょっと行ってみようかという気になった。
午前9時半、象キャンプに向け出発。事前に宿の若旦那に聞いたところ、それほど面白くないという。ただ片道70キロと近く、昨日のタウングーの印象では他にあまり見るべきところはなさそうだったので行ってみることにした。道はネーピードーに向かう方向なので、昨日走った道をまた走ることになった。急ぐ旅でもないので、すれ違う人々を見ながらゆっくり進む。
これが意外と面白い。若い坊さんたちが動かなくなった軽トラを押していたり、おばあさんが頭いっぱいに枯れ枝をのせて歩いている。ミャンマーはまだ電気がいきわたってないので、地方に行くと薪で煮炊きをするので、どこかから枯れ枝を拾ってくる。家畜の牛がおばあさの後を従順に歩いていく姿がかわいらしい。
国道沿いは豊かな田園地帯だ。道端では、おばさんが収穫したもみ殻を広げて干している。こういうのどかな風景は、昔からのものなのだろう。
象キャンプへの道
タウングーから50キロ走ったところで国道1号線からわき道に入る。ここから山の方に25キロほど入ったところに象キャンプがあるという。この道は両側に立派な広葉樹の木々が植えられているが、これはチークの木だそうだ。チークは高級木材で、他国では伐採されて輸出禁止品目にもなっている。
道を進むにしたがって、かなり山の中に入ってきた感がある。両側をジャングルに囲まれた川では、親子が水遊びをしていた。この辺まで来ると、山の中に象がいてもおかしくない雰囲気だ。
牛を引っ張って家に帰る少年がいる。この光景もミャンマーでは一般的なもので、ミャンマーの原風景と言ってもいいのではなかろうか。
通りかかったところに高床式の家があった。このスタイルはミャンマーの地方では普通なのだが、この家はほかの家より大きい。高床式の家って、日本では何時代にあたるのだろうか。縄文、弥生時代?いや江戸時代でも障子の家だったのだから…。しかしここミャンマーではまだ庶民は高床式の家に住んでいる。
Phee Kyaw Elephant Camp
途中で宿を先に出たドイツ人のフォトグラファー一行とすれ違った。象キャンプについて聞いたら、面白くなかったと言っていた。
そして象キャンプに到着。周りをチークの木々に囲まれ、宿泊施設もある。よく東南アジアではこのようなところをリゾートと呼んでいるが、ここもそうだ。
象キャンプは象と象使いが生活しているところだが、ここで寝泊まりしているだけではない。ここから山の中に入り数日間、木の伐採や運搬などの仕事をしてここに帰ってくるという生活をしている。この象たちは立派な労働をしている(させられている?)のだ。宿の若旦那が言っていたが、確かに面白くない。というのもここにいる象は足を鎖につながれて動けないから。実際に山の中で木を運搬しているところなど見られれば面白いのだろうが…。
日本刀の偽物
午後4時過ぎ、タウンジーに戻ってきた。象キャンプ周辺は山の中で昼飯を食べるところがなかったので、早めの夕食。地図に出ていた食堂に入り、昨日食べそこなった野菜炒めを注文。
夕食を食べていると、ここの食堂の主人が話しかけてきた。なんでも日本刀を持っているといい見てほしいと持ってきた。見ると立派な日本刀。「昭和17年 小田一郎」「天皇」という刻印があるので、太平洋戦争中にビルマ戦線で戦死した日本兵の遺品だと思った。このご主人はこれを「結構高い値段」で知り合いから購入したという。私もてっきり信じてしまって、フェイスブックで旧日本兵の遺品を見たと出したところ、ミャンマーの知り合い複数から「私も違う場所で、小田一郎の日本刀を見た」というコメントをいただいた。どうやらこの日本刀は偽物で、これで儲けている輩がどこかにいるらしい。遺族感情を利用した金儲けに腹が立った。おそらく、戦死した旧日本兵の遺族や戦友が昔、ミャンマーを訪れた時に売りつけていたものなのだろう。とんでもない話だと思ったが、実はこの偽物を作った人が初めに参考にしたオリジナルがあったはずで、それはきっと「小田一郎」さんの遺品だったのだろうと思う。実際にミャンマーには本物の旧日本兵の遺品がたくさん残されているのだ。