ネーピードーからタウングーへ

午前中にネーピードーの銀行でドルをミャンマー・チャットに両替し、軍資金を増強。今日はここから100キロほどのところにあるタウングーまで行く予定。時間的にはもっと遠くまで進めるのだが、ここに泊まってみたいホテルがあった。


ミャンマー ネーピードー空港

ネーピードー国際空港

午前11時20分、ちょっと遅めの出発。街外れに空港があった。実はこの手前で空港の入り口らしきところがあったので入っていったら、いきなり銃を持った兵隊につかまった。そこはどうやら空軍基地の入り口だったみたいだ。


ミャンマー ネーピードー-タウングー

ネーピードーからタウングーに向かう道は国道1号線で、ミャンマーでは一番の幹線道路。と言っても片側1車線ほどの幅で、日本でいえば県道ほどの道でしかない。そこをバスやトラックが猛スピードでひっきりなしに通るので、走行中は結構気を使いながら走らなければならない。時にはこんな荷物満載、人満載のトラックも走っている。


ミャンマー ネーピードー-タウングー

アジアではバイクが庶民の足なのはここミャンマーでも変わらない。ミャンマーでもヘルメットはかぶらなくてはならないようなのだが、ほとんどの人がかぶっていない。時々、このように後ろ向きで2人乗りをしている姿をよく見かけるが、これは急ブレーキをかけたりしたら後ろに乗っている人は飛ばされてしまう危険な乗り方だ。


ミャンマー ネーピードー-タウングー

途中、道端に竹で作られた椅子やテーブルのようなものを並べて売っている村があった。その近くでは竹細工でこしらえている作業場もあったので、ちょっと覗かせてもらった。技術的には工芸品とはとても言えないようなレベルだが、作っている人たちもそれほど熱心には作業していないようで、ゆったりとしている。

タウングーに到着


ミャンマー タウングー

午後3時前にタウングーの街に着いてしまった。まあ100キロなのでゆっくり走ってもなんてことない距離だ。街の中心にはアウンサン将軍像が輝いている。堀が一部残されているが、これはここが短いながらも都が置かれたからだ。


ミャンマー タウングー


ミャンマー タウングー

ここでしばらく様子を見ているといろいろな人が通り過ぎていく。学校帰りの生徒は変なアイマスクを付けている。荷物満載のモトサイも。

ミャンマー ビューティー ホテル2


ミャンマー タウングー


ミャンマー タウングー

さて、このタウングーにわざわざ泊まる理由のホテルに向かう。ホテルは中心部からは少し離れた住宅街の中にありわかりにくいが、「ミャンマー ビューティーホテル2」という看板が出ていたのでたどり着けた。なぜ2なのかというと、街の中心部にもともとのホテルがあるからだという。しかしこの2の方のホテルでないと目的のお楽しみはないらしい。ホテル外観や部屋はあまり特徴的でないが、このホテルの楽しみは明日味わえます。

タウングー駅


ミャンマー タウングー駅

まだ明るいので、ホテルに荷物を置いて街の探検走行に出かける。よくわからないので、とりあえずタウングー駅に行く。駅はいかにもイギリスが植民地時代に作ったというような武骨な作りだ。タウングーの文字に毛布がかかっているのがミャンマーらしい。


ミャンマー タウングー駅

駅の構内ではおばさんがベンチで熱心に本を読んでいる。ミャンマーでは、女性もロンジー姿で胡坐をかいて座る。列車が入ってくる気配もないので、おばさんはここで買い物帰りに休憩しているのかな?


ミャンマー タウングー

タウングー駅は街の中心部から外れているが、その周辺はミャンマーらしい下町の雰囲気が漂っている。木陰で休む人、その前を行き来する人々、そして野良犬がうろつく、このような光景はミャンマーのどこでも見かける光景だった。


ミャンマー タウングー

子供たちもヤンチャに遊んでいる。上半身裸で得意げに自転車に乗る少年は、まさにガキ大将。日本でも昔は路地裏に普通に見かけた姿がここにはまだある。


ミャンマー タウングーの犬

道端では犬たちもホント無防備。母犬のそばで子犬たちが安心しきってぐっする寝ている。ミャンマーは野良犬天国!


ミャンマー タウングー

近くにはなんだかよくわからない建物も残されている。これもきっとイギリス植民地時代のものなのだろうが、何に使われていたのか、全く想像できない。


ミャンマー タウングー

中心部に戻り、ロイヤルレイクという市民の憩いの場を見学。タウングーの街は一回りしたところ、特にこれといった見どころもないようだ。この池もあまり大したことはないが、ちょうど日が傾きかけ、女性の後ろ姿がいい感じで写真が撮れた。


ミャンマー タウングー チャーハン

午後6時となり、薄暗くなってきたので夕食を食べようと食堂を探したが、あまりよさそうなところがない。仕方なしにホテルに戻る途中の大通り沿いにある食堂に入る。案の定、言葉が通じないので、定番の野菜炒めを頼んだら、なぜかチャーハンが出てきた。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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