おさらば、カチン州

ミャンマーツーリング。カチン州の州都ミッチーナから元来た道を走り、カタまで戻る。カチン州はミッチーナの先にまだまだ広大な区域があるが、2011年からミャンマー国軍と内戦が再発しているため、外国人がこれ以上進むのは危険なため断念、引き返す。内戦が終了し、バイクでツーリングが楽しめる時が来るまでの楽しみとしてとっておこう。

ミッチーナからの戻り道


ミャンマー ミッチーナ キリスト教

午前8時、ホテルを出発。フロントでホテル代を精算しているときに、今まで気が付かなかったが、ロビーに大きな垂れ幕がかかっている。そこにはキリスト教の標語をミャンマー語で訳したものが書かれているようだ。キリスト教は詳しくないので、この文章が聖書からのものかどうか定かでないが、こうやって英語を話せない人にも教えを伝えていることで、キリスト教がカチン州で根付いているのだろう。


ミャンマー ミッチーナーカタ


ミャンマー ミッチーナーカタ

数日前にカタからやってきた道を再び走る。カタまでは大体240キロほど。一度走っているので、リラックスして楽しめる。


ミャンマー ミッチーナーカタ

途中、ところどころに小さな村がある。ある村を通過しているときに、交差点に何かのモニュメントがあった。何を表しているのかよくわからないが、軍事政権下の時に、労働に励め、ということなのだろうか。


ミャンマー ミッチーナーカタ 教会


ミャンマー ミッチーナーカタ 教会

道中、教会をいくつか見かけたが、デザインがなかなかユニーク。


ミャンマー ミッチーナーカタ

確か、ヤンゴンからマンダレーに向かうときには田植えが行われていたと思うが、この辺はすでに収穫を終えていて休耕期間に入っているようだ。ところどころに農作業用の小屋が立っている。この小屋で昼寝をすると気持ちがいいのだが…。


ミャンマー ミッチーナーカタ 昼食


ミャンマー ミッチーナーカタ 昼食

通りかかった寺院では、何かの行事があったみたいで、終了後に車座になって女性たちが昼食を食べている。持ち寄ったミャンマー料理がおいしそう。「寄ってけ」という言葉に男性一人、混じってごちそうになった。




ミャンマー ミッチーナーカタ 

この寺院の前には、かなり古いトラクターが置かれている。のんびりした村、なかなかいい。




ミャンマー ミッチーナーカタ 列車

珍しく踏切に止められた。昨日、ミッチーナの駅で見かけた機関車と同じだ。昨日は列車がミッチーナを午前7時ごろに出発していた。ここはミッチーナから100キロほど離れているが、逆算すると3時間以上かかって100キロしか進んでないことになる。ミャンマーの列車はあまりにも遅い。


ミャンマー ミッチーナーカタ 埋葬


ミャンマー ミッチーナーカタ 埋葬

畑の中から大勢の人が出てきた。周りはお墓なので、棺を埋葬した帰りのようだ。近くに村があったので、村人が亡くなったのだろう。


ミャンマー ミッチーナーカタ 象

ある街の寺院で、象の頭にアヒルがのっかているおもしろい像を見かけた。なにかいわれがあるのだろうが、今まで見たことのないものだ。


ミャンマー ミッチーナーカタ 洗濯

この街の川では女性たちが洗濯をしていた。その上に架かる橋の上をゆったりと犬が歩いている。のどかな風景。


ミャンマー ミッチーナーカタ 牛

道端では牛が頭を突き合わせてけんかをしている。いつもはのんびりしている牛も怒ることがあるんだ、などと思いながら走っていると、カチン州の州境に到着。ここでカチン州とおさらば、ザガイン管区に入る。


ミャンマー ミッチーナーカタ カチン州 州境

再びカタ


ミャンマー カタ ホテル カタ

午後3時40分、無事カタに戻ってきた。行きと同じホテル カタに泊まる。前と同じように、値段が安い部屋だが、どうせ広い部屋が空いているのだから、ディスカウントして広い部屋にアップしてくれないかな、などと思ってしまう。日本やほかの国ではこうしたサービスは結構あるのだが、ミャンマーではこういった気の利いたサービスの類は全くないと思っていい。まだまだサービス向上という概念がないようだ。


まだ夕方まで時間があるので、カタの見学に出かける。前に行けなかったエーヤワディー川のほとりをバイクで進んでいくと、牛の放牧をしている兄弟と遭遇。カメラを向けるとみんなで派手なポーズをとってくれたが、普段おとなしいミャンマー人の子供たちはあまりこのようなことはしない。

近寄っていくと、ミャンマー人とは少し顔立ちが違っている。聞くと彼らはネパール人だという。昔、イギリス植民地時代にイギリスはネパールから兵士を連れてきた。その兵士はグルカ兵といって屈強な兵士として有名だった。その兵隊がそのまま各地で居ついて、その子孫がこうして生活をしている。彼らはミャンマーで生まれ、ミャンマー語を話す。祖国のネパールには行ったことがないし、ミャンマー人と変わらない。それぞれの家族の複雑な歴史がある。


ミャンマー カタ いかだ

エーヤワディー川を見ていると、家のようないかだが流れてきた。いかだの上には数人の男性がいて、生活をしながら川を下っているようだ。これは上流から切り出した竹を下流に運んでいるのだろう。前にエーヤワディー管区で竹のいかだを見たが、こんな上流から運んでいたんだと改めて驚く。しかし下流まで何日かかるのだろうか?一種の冒険のように思えてくる。


ミャンマー カタ 小僧

さらに川沿いに進んでいくと、小さな寺院があり、その前で小僧たちが物売りのおばさんからトウモロコシを買って食べている。上半身裸で、しかもやんちゃそうだが、これは得度式を終え短期で寺院で修業をしている子供たちだろう。しかし僧侶は午後は何も食べてはいけないことになっているのだが…。


ミャンマー カタ 野菜売り

大きな瓜がいっぱい道端に転がっている傍らで、優雅にくつろいでいるおばさん。エーヤワディー川を遠くに眺めながら、こののんびりした雰囲気がたまらなくいい。収穫した瓜を運ぶ車を待つ間、見張りをしているのだろうが、こういった風景はなかなか絵になる。


ミャンマー カタ 家


ミャンマー カタ 家

カタに残っている、イギリス植民地時代の家は前にだいぶ見学したつもりだったが、まだまだ知らないところに残っていた。だいぶ古くなっているようだが、ぜひ残していってほしいものだ。


ミャンマー カタ 夕食

市内の見学を終え、ホテルで夕食。宿泊棟の裏にレストランがあり、中庭でもテーブルが置かれて外で食事がとれるようになっている。日が落ちるとかなり寒くなってくる。今日も無事、一日暮れていく。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »