ジョージ・オーウェルゆかりの地カタ

ミャンマーツーリング。シュエボーから北上を続ける。どこまで行けるのか、当てはなかったが、たどり着いた街カタは何か異国の雰囲気が漂う不思議な街だった。そこはイギリスの作家ジョージ・オーウェルゆかりの地というのは到着してから知った話。

今日も得度式に遭遇

ミャンマーでは、だいたいの宿で朝食を出してくれる。シュエボーのホテルは調理ができないようだったが、それでもケーキと果物を朝食として出してくれた。

午前7時45分、ホテル発。シュエボーは小さな街なので、ちょっと走るとすぐに田舎道になる。そんなのどかな道を走っていると、大きな池のほとりに白い仏塔が立っている。ミャンマーらしい美しい風景を見ると元気が出てくる。

道はところどころで舗装工事が行われていて、そのたびに埃まみれになる。しかしそんな道ばかりではない。両側に林が並ぶ、気持ちがいいところを走り、だんだんゆるやかに標高を上げていくと、丘陵の上に出て、見晴らしのいいところを走るようになる。

3時間ほど走ったところで、イスを運んでいる一団を見かけた。これはもしや得度式で出家する子供たちを乗せるイスではないか?と思い、この行列に付いていく。

通りから少し入ったところに小屋があり、昨日と同じように飾り付けが行われていた。やはりこれから得度式が行われるようだ。ただ昨日を見ていても、まだ準備段階なので、実際に始まるのはかなり後になってから。

外では来場者にふるまう料理が大鍋で豪快に作られている。出家する子供たちはまだ私服のままだったが、顔は化粧を済ませていた。

米粉麺の昼食

午前11時、バスが何台か停まっているドライブインのようなところがあり、鹿児島のバスが止まっていた。

そこでは食堂が数軒あったので、休憩を兼ねて昼食をとることにした。先客が食べていた麺がおいしそうだったので注文。名前を「サンピャ」という、米粉太麺の汁なしといったところ。これがなかなかの美味だった。

走っていると、道沿い一面ひまわりの花が咲いている地区があった。ミャンマーではひまわりの種を食べるので、その畑なのかもしれない。たまたまいい季節に来たのかもしれないが、こうした美しい風景は、走っていても心が和む。

途中、踏切が降りて列車が通過した。ミャンマーではこんなところまで鉄道はきている。鉄道を敷いたイギリスはすごい。

今晩はカタで泊まることに

午後3時過ぎになり、そろそろ今晩の宿泊先を考えながら走っていると、道の分岐点があり、そこに一枚の看板が立っていた。その看板には、カタという街へ矢印が書かれており、きれいなホテルの広告が出ている。この先、進んでも外国人が宿泊できる街があるとは限らない。こんなきれいなホテルがあるのなら、今晩はここに泊まろうと思い、分岐点をわき道に入り、カタを目指す。

カタの街に入っていくと、そのホテルは道沿いにありすぐわかった。ミャンマーの地方ではあまり見かけない、洒落たホテルだ。部屋はそれなりに高い値段だったが、狭くて安い部屋もあるのでそこに泊まる。

ホテルについて知ったのだが、このカタの街はイギリス人作家ジョージ・オーウェルゆかりの地だということだった。といっても、実はこの作家をよく知らないので、何でこの地がゆかりの地なのかは後で調べた。

ジョージ・オーウェル(1903~1950)は、イギリス植民地下にあったインドで生まれる。代表作は「1984年」という小説らしい(まだ読んでない…)。1922年にマンダレーでインド警察の訓練所で警官として働き、その後、ミャンマー各地に赴任したという。その中の一か所がカタだった。

1927年にイギリスに休暇で帰国した際に辞表を出し、その後ミャンマーに戻ることはなかった。ミャンマー時代の体験は1934年に出版した「ビルマの日々」に書かれているが(まだ読んでない…)、そこには地元民を見下す植民地時代のイギリス人が書かれているという。

街にはきれいなテニスコートがあったりして、今でもイギリスの名残みたいなものがある。それを見にヨーロッパからの観光客が訪れている。マンダレーからはカタまでエーヤワディーをさかのぼるクルージング船が出ているという。

カタの街はエーヤワディー川のほとりに発展している。その川幅はかなり広い。川岸では、大きな魚かごがあったが、その中に小魚がいっぱい詰まっているところを見ると、魚影は濃いのだろう。

街には中国製の電動自転車も走っているが、デザインはなかなかかっこいい。この分野では日本のバイクメーカーは遅れを取っているが、中国に近い地理的条件もあり、中国製バイクが占めている。と思ったら、ミャンマーで時々見かけるヤマハDTとは少し違ったデザインの車体を見つけた。また偽物だろうと思ったら、なんとヤマハ製のバイクだった。

そのバイクを使ったユニークな屋台を発見。今まで見たことのない屋台だったので、自分で作ったのかもしれないが、グッドアイデアだ。屋台も結構にぎわっているが、この形式ならば移動も楽だろう。この街にもおいしそうな屋台がいっぱい。イギリス植民地ゆかりの地も、やはりここはミャンマーだ。

さまざまな屋台がこの街にある。料理の数の多さにも驚かされる屋台飯。

ホテルに戻る途中、幼い子を背負った女の子が左右を見ながら道を渡ろうとしていた。ただ車やバイクがひっきりなしに通っていたため、なかなか渡れない。そして途切れた一瞬に勢いよく道を走って渡る。女の子はまだ10歳以下だろうが、幼い弟の世話をするのがミャンマーでは当たり前。恵まれた日本では忘れられてしまった光景だが、ミャンマーでは幼い子たちも一生懸命生きている。

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