ナマステの国の神々(ネパール)

赤といってもいろいろある。

赤色、紅色、朱色、緋色、茜色、深紅…。日本語でも、複雑な赤を表す言葉はいくつもある。しかし、ネパールのカトマンズ盆地には、世界中で最も多くの赤の色が存在するのではないかと思われるほど、赤であふれている。ここでは、神に対する人々の信仰は、赤の色で表現されるからだ。

赤のグラデーション

ネパール ヒンズー教の神々

一日の中で、赤が一番新鮮なのは早朝だ。参拝者が神様にお祈りをする時、ティカという赤い粉を塗る習慣がある。ちょっぴり水分を含んだ赤い粉は、重厚な深紅色に変わる。そして次にお参りにやってきた人が注いだ聖水で流れ落ち、深紅から薄い紅色に、さらにちょっと暗めのピンク色へと赤いグラデーションを広げていく。やがて日が高くなり訪れる参拝客がまばらになるにつれ、赤のグラデーションは乾き、急速にみずみずしさが失われていく。赤く染まった神の居場所は街のいたるところにある。「カトマンズ盆地は赤であふれている」という印象は、神が街の中にいっぱいいるということなのだ。

「ナマステ」のあいさつ

ネパール バクタプルの少女

ネパールの国教はヒンズー教だが、仏教も盛んだ。もともと赤い粉を塗る行為はヒンズー教特有の物であったらしいが、仏像の額にも赤く塗られているのを見かける。神も仏も混在する中で、人々は穏やかさを保っている。この穏やかさを一番感じるのは、街角で人々が出会い、「ナマステ」とあいさつをする時だ。この言葉は「おはようございます」や「こんにちは」などのあいさつで、軽く会釈をしながら言うのであるが、この時の表情がなんともいえない奥ゆかしさを含んでいる。そして日々繰り返されるこのような光景を神々は街角で見ているのだった。

バクタプル

ネパール バクタプル

首都カトマンズから車で40分。古都バクタプルは小さくて静かな街だ。カトマンズ、パタンとともに15世紀にカトマンズ盆地に並立したマッラ王朝の首都の一つだった。メインストリートをゆっくりと進んでも、15分ほどで街外れについてしまう。しかしカトマンズを差し置いてまっすぐこの街に来たのは、ひとびとがしきりに「バクタプルはいいよ」と言ってくれたからだ。

夜のしらべ

ネパール バクタプルのしらべ
ネパール バクタプルの夜

宿でうとうとしていたら、笛や太鼓の音に混じってかすかに歌声が風に乗って聞こえてくる。歌声は、高くなったり、また低くなったりするが、同時に聞こえてくる太鼓の音は乱れもなく、等間隔のリズムを刻んでいる。表に出て声のする方に歩いていくと、一団が輪を作り歌っていた。15人ほどの車座に5,6人の子供が混ざっいる。なんて素敵な光景なんだろう。

中世の街並み

ネパール バクタプル

世界遺産のバクタプルは、まるで中世の街並みから全く変わっていないのではないかと思われるほど、ネワール族の文化が息づいている。細い路地を歩いている時に、大きな目が描かれている扉が突然開き、そこから美しい少女が顔を出したりするところに出くわすと、ドキドキしてしまうのだった。

サキマナプニの祭り

ネパール バクタプルのサキマナプニの祭り

滞在中、サキマナプニの祭りは一番の思い出となった。サキは芋、マナは茄子、プニは満月を意味する。収穫が無事終わったことを神々に感謝するお祭りで、バクタプルでしか見られないそうだ。

暗くなってから、神々の前にせんべいみたいなお菓子や穀物が大量に並べられて飾り付けが始まった。このナラヤンの神様の姿はポップコーン、その周りを大豆で埋め、一番外側をマリファと呼ばれる小麦粉に砂糖を混ぜて揚げたお菓子で縁取った。出来上がると人々は太鼓や笛を持ち出して、歌を歌い始めるのだった。祭りは深夜まで続いた。やがて皆が歌いつかれてきた頃、大人たちがお菓子を崩して子供たちに配り始めたのを合図にサキマナプニは終わった。子供たちはいっせいに駆け寄り、小さな手を大きく開いた。昼間からうきうきしていた理由はこれがお目当てだったのだろう。お菓子を頬張った一人の子が、本当にうれしそうに笑った。神様の味はきっとおいしかったに違いない。

ニャタポラ寺院の五重塔

バクタプル ニャタポラ寺院の五重塔
ネパール バクタプルのニャタポラ寺院

バクタプルの宿は「パゴダ・ゲスト・ハウス」。この街には大きなホテルはない。一軒目に紹介された宿だったが、一瞬にして気に入ってしまった。

この宿は屋上にレストランがあるが、その目の前に、カトマンズ盆地で一番高い建物のニャタポラ寺院の五重塔がそびえたっている。もちろんこの建物も世界遺産に指定されており、日本でいえば法隆寺の境内に宿があるようなものだ。贅沢なひと時を味わえる最高の宿だった。

カトマンズ

ネパール カトマンズのインドラ・ジャトラの祭り
ネパール カトマンズのダルバール広場

バクタプルを離れ、カトマンズに戻ってきた。大気汚染と喧騒の中に戻るのは勇気がいたが、インドラ・ジャトラのお祭りが始まる。ここでぜひとも生き神クマリを見たかった。

通りではすでに人だかりがしている。会場のダルバール広場では、兵隊さんたちの更新が始まり、松明が先導し象の張りぼてが通る。すでに祭りの気分は盛り上がっていた。

バイラブ神

ネパール カトマンズのインドラ・ジャトラの祭り

にぎやかな通りの寺院には櫓ができ、そこに人と同じ高さくらいの、しかも顔しかない神様が祀られている。顔色は青い。きっと恐ろしい神様なのであろうが、目が丸く大きい分、なんとなく愛嬌がある。

人々はこの大きな顔の神様に盛んにお祈りをしている。この神が主役のインドラ神だと思っていたら、人々は「あっちだ」と通りの反対側を指さす。見ると一本の高い柱の上に小さな神様が縛られている、いかにも貧弱な神様がいた。顔の大きな神様はバイラブ神というのだそうだ。

生き神クマリ

ネパール 生き神クマリ

生き神クマリは仏教徒のサキャ族出身で、初潮前の少女から選ばれる。しかしヒンズー教徒の間でも生き神クマリには戦闘的なドゥルガー女神が宿ると信じられており、仏教、ヒンズー両教徒から恐れ敬われている。

館から出てきた生き神クマリは額全体に三日月のような赤い化粧をしていて,赤地に金色の刺繍が入った着物を着て、首に花輪をかけている。用意された山車に上る階段では付き人に抱えられて乗り込んだ。

ダルバール広場の興奮

 カトマンズのクマリの館
ネパール カトマンズのダルバール広場

生き神クマリが住む館は素晴らしいネワール彫刻で飾られている。世界遺産に指定されているカトマンズ盆地全体がネワール族の文化なのだ。その館から出てくるクマリを一目見ようとダルバール広場では人々が何時間も前から詰めかけていた。

しかしこの興奮の渦の中心にいる生き神クマリはピクリとも表情を動かさない。

ネパール ヒンズー教の神
ネパール カトマンズの神

消える神々

ネパール カトマンズの神の扉

カトマンズの裏通りを歩いていると、赤いティカが塗られた扉を見つけた。扉には錠前がかかっており、その上に黄色い花が一輪置いてあった。ティカは神に塗ると思っていたので、ちょっと意外だった。

近所の人の話では、この神を世話していた人が家庭の事情で扉の鍵を開けに来られなくなり、中に安置されている神を直接拝むことができなくなった。しかし参拝にくる人々は絶えず、扉の上からティカを塗り、姿が見えない神を慕っているという。

寺院や祠の多くは鍵が閉まるようにできている。毎日接している地元の人々は何とも思わないだろうが、実は貴重な美術工芸品が道端に平然と置かれており、カトマンズ盆地全体がオープン美術館となっているのだ。そして注意してみると、実際に盗難にあった神様もあり、海外に持ち出されてしまっているという。

パタン

ネパール パタンのダルバール広場
ネパール パタン

カトマンズから車で15分ほどのところにあるパタンは、カトマンズに近いため、観光客はわざわざパタンに泊まらない。パタンのダルバール広場はほかの2都市のものと比べると小さいが、旧王宮内にあるパタンミュージアムは素晴らしい。これを見るだけでもここに来たかいがある。

パシュパティナート寺院

ネパール パシュパティナート寺院
ネパール パシュパティナート寺院

トリブバン国際空港の近くにあるネパール最大のヒンズー寺院、パシュパティナート寺院はシバ神を祀っている。この寺院にはヒンズー教徒しか入れないことになっている。境内を流れるバグマティ川は火葬場となっている。ここに来ると、遺体に火がつけられ、ゆっくりと煙が上がっていく光景を対岸の高台からぼーと眺めることにしている。

カトマンズ盆地の聖地

ネパール パナウティー

美しいパナウティー

池に浮かぶブダニールカンタの巨大ビシュヌ像

ネパール サンク

サンクにある美しいガネーシャ神の像

ネパール クマリの館のマンダラ

追伸

2015年4月25日、カトマンズ北西のゴルカ郡を震源とする大地震が発生。死者8千人、負傷者2万人以上が被災した。

この地震でカトマンズ盆地の世界遺産は大きな被害が出た。カトマンズのダルバール広場では旧王宮や三重塔が崩壊。バクタプルではニャタポラ寺院の五重塔の倒壊は免れたが、地域全体で建物が崩壊した。

ここで紹介してきた写真に写っている風景もダメージを受けてしまった。おそらく私が生きているうちには元には戻らないだろう。私が撮影したカトマンズ盆地の写真は貴重な記録となってしまった。

この地震が起きた後に私は現地に入り被災地を回った。その記録はこちら