アンコール遺跡群

カンボジアが誇る世界遺産アンコール遺跡。その壮大なスケールはアジアの中の遺跡でも群を抜いている。しかしこの遺跡は、アンコール王朝衰退後に密林に埋もれ、19世紀にフランスの探検家アンリ・ムオに発見されるまでジャングルの中にあったという。その話をいつも思い出し、そのころの風景を想像するだけでわくわくしてくる。

1990年代、まだアンコール遺跡を訪れる観光客は少なかった。今では日の出から日没までごった返しているアンコール・ワットも、時には観光客が誰もいなくて、手持無沙汰の物売りの子供たちがやってきては商売そっちのけでのんびりおしゃべりを楽しんだりした。ワットからバイクタクシーで40分ほどのところにあるバンテアイ・スレイに向かう時は、「帰りに強盗に襲われるから、必ず午後2時前には遺跡を出て帰ってきなさい」と注意されたものだった。

今は時間がくれば遺跡から出なければならないが、当時は夜、遺跡にいても文句は言われなかった。ただ真っ暗なアンコール・ワットはとても不気味で、暗闇から突然出てくる銃を持った遺跡警察官とばったり会うと、悲鳴をあげそうになったもんだ。

昔の自由でのんびりしている頃を知っていると、なかなか行こうという気になれない。今回ここで紹介する写真は、のんびりした時代に撮影できたものだ。

アンコール・ワット

カンボジア アンコール・ワットの夜景

・12世紀前半、スールヤヴァルマン2世、ヒンズー教・

東西1.5キロ、南北1.3キロの環濠に囲まれたアンコール遺跡最大の遺跡。ちゃんと見ようと思ったら何日かかるかわからない、何日かけても飽きない遺跡だ。ワットの中には仏像が祀られたりしているから紛らわしいが、実はヒンズー教のヴィシュヌ神を祀っている。しかも国王自ら自分を埋葬するために建設を始めた寺院で、30年かけて建立された。

アンコール・ワットは独特の宇宙観で作られている。中央にある5つの祠堂は、神々が住むという須弥山(メール山)を、周囲の回廊はヒマラヤの霊峰、堀は海を表しているという。写真を見てもわかるように、シルエットで見ても非常に計算しつくされた姿をしていることに驚かされる。

カンボジア アンコール・ワット
カンボジア アンコール・ワットの朝焼け
カンボジア アンコール・ワットのデバダ
カンボジア アンコール・ワットのデバダ

アンコール遺跡の壁面には女神デバター像が彫られているが、アンコール・ワットにも数多く存在する。

回廊を進んでいくと、写真のように両側に女神が出迎えてくれているような錯覚に陥る。しかも太陽に照らされ赤く染まるときには、やはりここが死後の楽園を表現しているのではないかと納得してしまうのだった。

カンボジア アンコール・ワットのデバダ弾痕

アンコール・ワットは内戦時、ポル・ポト派の軍事拠点となっていたことがあった。ここで戦闘が行われたこともあるが、その証拠にデバターに弾痕の跡が残されている。1993年までカンボジアでは自力で統一政府を作ることができず、国連の力を借りた。四半世紀前までは観光どころではなかったのだ。

カンボジア アンコール・ワットの未完成デバダ
カンボジア アンコール・ワットの未完成デバダ

アンコール・ワットには、未完成な女神像がいくつかある。これが何を意味するものなのか。国王が亡くなってしまい作業が中断したとか、あるいは完成させなくても大丈夫と考えたカンボジア人の性格なのか。とにかくデバター像の工程が分かって面白い。

アンコール・ワットの乳海攪拌

第一回廊には東西南北の壁面にレリーフが描かれている。

左の写真はヒンズー教の天地創生を描いた「乳海攪拌」。ヴィシュヌ神が綱引きの采配をふるっている。右は「大戦争の図」

カンボジア アンコール・ワット
カンボジア アンコール・ワット
アンコール・ワットの薪運び
アンコール・ワットの物売り
アンコール・ワットの物売り
アンコール・ワットの物売り
アンコール・ワットの草取り
アンコール・ワット

バイヨン

カンボジア バイヨンの四面仏

・12世紀末、ジャヤヴァルマン7世、仏教・

アンコール・トムの中心に位置する寺院で、第一回廊が南北140メートル、東西160メートル、中央祠堂の高さは45メートル。全部で196面ある四面仏が特徴。この仏は観世音菩薩で、口元には「クメールの微笑」と称される笑みを浮かべている。昼間見ると美しいと思える笑みも、夜訪れるとけっこう不気味なのだ。

バイヨンはクメール王朝が最盛期の時に建設されたもので、ここも神々が住むという須弥山(メール山)の世界を表している。

カンボジア バイヨン
カンボジア バイヨンのレリーフ
カンボジア バイヨンのレリーフ

バイヨンの外側を囲む第一回廊には、当時の庶民の生活を描いたレリーフが刻まれている。これがすごく興味深い。例えば、東南アジア最大のトンレサップ湖で捕れた巨大な魚が描かれているが、これも地元の証言と合っている。最近では乱獲で巨大魚は捕れないらしいが…。

カンボジア バイヨンの四面仏
カンボジア バイヨンのデバダ

タ・プロム

カンボジア タプロム

・12世紀末、ジャヤヴァルマン7世、仏教・

東西1キロ、南北0.6キロの周壁に囲まれた寺院は、ジャヤヴァルマン7世の母を弔うために建立され、5千人の僧侶と615人の踊り子がいたという。

この寺院は発見された当時、ガジュマルの巨木が遺跡に割って入っていたが、自然の猛威を残そうとそのままにしている。遺跡と自然の計算されない美しさを堪能できるところとして、私はけっこう好きな遺跡だ。

カンボジア タ・プロム
カンボジア タ・プロム
カンボジア タ・プロム
カンボジア タ・プロム
カンボジア タ・プロム

バンテアイ・スレイ

アンコール遺跡 バンテアイスレイ

・967年、ラージェンドラヴァルマン2世、ジャヤヴァルマン5世、ヒンズー教・

アンコール・ワットから東北へ約28キロ行ったところにある、私がアンコール遺跡で最も好きな寺院。「女の砦」という意味を持つこの寺院は、他のアンコール遺跡と違って紅色の砂岩が使われているため、まず色が美しい。それとともに壁面に刻まれた彫刻が深くくっきりしており、とても砂岩で描かれているとは思えないほど繊細なのだ。作家アンドレ・マルローが女神デバターに魅せられて盗もうとした逸話も残っている。「東洋のモナリザ」と言われているようだが、モナリザよりも美しいと思う。

バンテアイスレイ ドヴァーラパーラ
カンボジア バンテアイスレイ
バンテアイスレイ シータ略奪
カンボジア バンテアイスレイ

この寺院にはヒンズー教の神話をモチーフとして素晴らしい彫刻が彫られている。

左側の写真は「ラーマーヤナ」で魔王ラーヴァナにシータ姫がさらわれる場面。見ての通り、彫りの深さと鮮明さに驚かされる。

カンボジア バンテアイスレイ
カンボジア バンテアイスレイ

アンコール・トム

カンボジア 象のテラス

・12世紀末、ジャヤヴァルマン7世、仏教・

アンコール王朝はアンコール・ワットが建立された後、衰退し1177年にチャンパ軍によって破壊されてしまった。その後、ジャヤヴァルマン7世による領土拡大でアンコール王朝は最盛期を迎える。この時に都として造営されたのがアンコール・トムだ。

アンコール・トムとは「大きな町」という意味。周囲12キロの城壁内には十字に道路が作られ、その中心にバイヨンが位置している。当時、ここで国王が遠征に勝利した兵隊たちを閲覧していたのであろう。

城門

カンボジア アンコールトム勝利の門
勝利の門
カンボジア アンコールトム東門
東門
カンボジア アンコール・トム西門
西門
カンボジア アンコールトム北門
北門

アンコール・トムの四方には城門がある。その門にはバイヨンのように四面仏がにらみを利かせている。

パプーオン

カンボジア アンコール遺跡のバプーオン
カンボジア アンコール遺跡のバプーオン

・11世紀中頃、ウダヤディティヤヴァルマン1世、ヒンズー教・

「隠し子」という意味のこの寺院は、美しい円柱に支えられた200メートルにわたる参道が特徴。中央祠堂は高さ24メートルだが、建設当時はバイヨンよりも高かったとか。

ピミアナカス

アンコール遺跡 ピミアナカス
アンコール遺跡 ピミアナカス

・11世紀初頭、スールヤヴァルマン1世、ヒンズー教・

須弥山を象徴した宮殿で、国王の儀式が行われた。四方にとにかく急こう配で危険な階段が付いている。

アンコール遺跡 王宮男池
王宮男池
アンコール遺跡 王宮女池
王宮女池

象のテラス

アンコール遺跡 象のテラス

王宮前広場に象の行軍とガルーダの彫刻が彫られた350メートルのテラスがある。象の彫刻は等身大という。

アンコール遺跡 象のテラス

このテラスは最強だったクメール王国の兵隊をジャヤヴァルマン7世が閲兵していたところだ。

アンコール遺跡 象のテラス
五頭の神馬の足元の人

癩王のテラス

アンコール遺跡 癩王のテラス

・12世紀末、ジャヤヴァルマン7世、仏教・

象のテラスの北側にある高さ6メートルのテラスがあり、ここに女神などの彫刻がびっしり彫られている。昔は荒れ果てていたが、フランス極東学院による修復により真新しいく生まれ変わった。

このテラスの上には首のない癩王像のレプリカがあるが、ポル・ポト派によって切られたという。

テップ・プラナム

・10世紀、イーシャーナヴァルマン2世、ヒンズー教・

癩王のテラスの北側にある僧坊だが、獅子シンハと神蛇ナーガの欄干しか残されていない。

アンコール遺跡 北クリアン

北クリヤン

・11世紀初頭、ジャヤヴァルマン5世、仏教・

象のテラスの向かいにある倉庫。南北にあるが、南の方は崩壊が激しい。

アンコール遺跡 プリア・ピトゥ

プリア・ピトゥ

・12世紀、建立者不詳、ヒンズー教・

2つのテラスと5つの神殿からなる王宮関連の施設といわれているが、崩壊が激しい。

プラサット・スウル・プラット

アンコール遺跡 プラサット・スウル・プラット

・12世紀末、ジャヤヴァルマン7世、仏教・

象のテラスに向き合うように、南北に6基ずつある塔。「綱渡りの踊り子の塔」の意味。正月に王宮前広場に集まった人々に、搭から塔に綱を張って踊り子たちに渡らせたという。真偽のほどはわからないが、アンコール遺跡を作るだけの文化水準があったクメール人たちが優雅な生活をしていた姿が想像できる。

プリア・パリライ

アンコール遺跡 プリア・パリライ
アンコール遺跡 プリア・パリライ

・12世紀前半、建立者不詳、ヒンズー教・

テップ・プラナムの奥に位置し、上部が崩壊した塔が残っている。ガジュマルの木が生い茂っており、まだあまり整備が行き届いてない。

小回りルート

アンコール遺跡を巡る小回りのルート

プラサット・クラヴァン

アンコール遺跡 プラサット・クラヴァン

・921年、ハルシャヴァルマン1世、ヒンズー教・

ヒンズー教のヴィシュヌ神を祀った5基の祠堂が並ぶ小さな寺院。アンコール遺跡の中では珍しく、レンガで作られている。

内部の壁面にはヴィシュヌ神やその妻ラクシュミの美しい浮彫がある。とても小さな祠堂だが、修復もなされており、池越しに見える風景はきれいだ。

スラ・スラン

アンコール遺跡 スラ・スランの夜明け

・12世紀末、ジャヤヴァルマン7世、仏教・

「王の沐浴の池」とされる東西700メートル、南北300メートルの聖池。池の西側にテラスがあり、2頭の獅子シンハ像と7つの神蛇ナーガの欄干ある。ポル・ポト時代には池の水が抜かれ、水田となっていたようで、池の中心にあった小さな祠堂も破壊されてしまったという。

夜が明ける前にここに来て、テラスの階段に座り込む。次第に空はブルーになり、やがて明るくなってくる。この色のグラデーションの変化は一見の価値がある。

バンテアイ・クディ

アンコール遺跡 バンテアイ・クディ・門番
アンコール遺跡 バンテアイ・クディ

・12世紀末、ジャヤヴァルマン7世、仏教・

スラ・スランとは通りを隔てたところにある寺院で、「僧坊の砦」という意味。もともとヒンズー教寺院として建立されたが、ジャヤヴァルマン7世が仏教寺院に改造した。

ここは日本の調査団が発掘調査をしていて、2001年には200体以上の仏像が埋められているのを発見している。

私は柱に彫られた門番の姿がかわいらしく、けっこう気に入っています。

タ・ケウ

アンコール遺跡 タケウ
アンコール遺跡 タケウ

・11世紀初頭、ジャヤヴァルマン5世、ヒンズー教・

東西120メートル、南北100メートルの5層からなる基壇の上に、アンコール・ワットと同じ5つの祠堂が建てられている。建立途中に国王が亡くなったため作業が中断し、未完成となっている。この寺院がのちのアンコール・ワットやバイヨンの大伽藍のモデルとなっている。

見る限り女神デバターなどの彫刻が彫られていないが、それは未完だからだろうか。ただこの派手さがない武骨な遺跡もなかなかいい。

トマノン

アンコール遺跡 トマノン
アンコール遺跡 トマノン
アンコール遺跡 トマノン

・12世紀前半、スールヤヴァルマン2世、ヒンズー教・

東西60メートル、南北40メートルの小さな寺院だが、訪れると必ず寄る理由は、ここには美しい女神デバターがあるからだ。いつも口紅が薄く塗られているが、これは誰かが化粧しているのだろうか?

チャウ・サイ・テヴォダ

アンコール遺跡 チャウ・サイ・テヴォダ
アンコール遺跡 チャウ・サイ・テヴォダ
アンコール遺跡 チャウ・サイ・テヴォダ

・12世紀前半、スールヤヴァルマン2世、ヒンズー教・

トマノンと向かい合っている寺院。ここにも損傷してなければトマノンと同じような美しい女神デバターがあるのだが、残念だ。何かの説明で赤いデバターは建立当時の色だと書かれていたが本当だろうか?

アンコール遺跡 パクセイ・チャムクロン

パクセイ・チャムクロン

・948年、ラージェンドラヴァルマン2世、ヒンズー教・

アンコール・トムの南門を出てすぐにある塔。注意していないと見逃してしまう。

アンコール遺跡 パクセイ・チャムクロン

プノン・バケン

・900年、ヤショヴァルマン1世、ヒンズー教・

高さ65メートルの小山の上に寺院が建てられているが、ここに登る目的はアンコール・ワットを上から眺めるため。

大回りのルート

アンコール遺跡を巡る大回りのルート

プリア・カン

アンコール遺跡 プリア・カンのガルーダ
アンコール遺跡 プリア・カンの円柱
アンコール遺跡 プリア・カンの灯篭
アンコール遺跡 プリア・カンの門番
アンコール遺跡 プリア・カンの忍者

・1191年、ジャヤヴァルマン7世、仏教・

入り口に大きなガルーダ像が目立つこの遺跡は、もともと仏教寺院だったが、のちにヒンズー寺院に変えられてしまった。その時に仏像の浮彫も削られてしまっている。

「聖なる剣」の意味で、父を弔った寺院だった。東西800メートル、南北700メートルの境内には、円柱が美しい2階建ての建物も残っている。参道に並ぶリンガを模した灯篭にはガルーダも彫られている。

ニャック・ポアン

アンコール遺跡 ニャック・ポアンの牛
アンコール遺跡 ニャック・ポアンの象
獅子
アンコール遺跡 ニャック・ポアンの人間
人間

南北0.9キロ、東西3.5キロの大池の中央に、一辺70メートルの池があり、その中央に祠堂が建つ。その四方には25メートルの小池があり、それぞれ牛、象、獅子、人間の頭を型どった彫刻がある。その口から水が出る仕組みになっており、治水にたけたクメール人の技術の高さがうかがえる。

タ・ソム

アンコール遺跡 タ・ソム
アンコール遺跡 タ・ソム

・12世紀後半、ジャヤヴァルマン7世、仏教・

東西200メートル、南北240メートルで、僧たちが寝起きする僧院だった。東塔門はイチジクに覆われてしまい、自然の猛威よる遺跡の破壊を見せつけている。使われている砂岩の質が悪いのだが、クメール王朝全盛期に多くの寺院が建立され、品質のいい材料が不足していたという指摘がある。

東メボン

アンコール遺跡 東メボン
アンコール遺跡 東メボン

・952年、ラージェンドラヴァルマン2世、ヒンズー教・

アンコール遺跡 東メボン

東西7キロ、南北1.8キロの貯水池東バライの中心にある寺院。四隅には等身大の象の彫刻が置かれている。

プレ・ループ

アンコール遺跡 プレ・ループ
アンコール遺跡 プレ・ループ

・961年、ラージェンドラヴァルマン2世、ヒンズー教・

第一基壇東に石槽があり、ここで死者の火葬が行われたことから「身体を変える」という意味の名前となった。

東メボンと同じ型で、3層の基壇の上に5基の祠堂が並んでいる。アンコール遺跡初期の化粧漆喰を使った装飾などがあるが、漆喰は剥離が激しく後の時代には使われなくなった。アンコール遺跡の変遷を知るうえで貴重な遺跡だ。

バンテアイ・サムレ

アンコール遺跡 バンテアイ・サムレ

・12世紀中頃、スールヤヴァルマン2世、ヒンズー教・

「サムレ族の砦」という意味。昔サムレ族の農民が誤って国王を殺してしまい、その代わりに国王の座についたが、周りの妬みに耐えられずこの砦のこもったという。