ミャンマー支援の写真展
2021年2月1日のミャンマー国軍によるクーデター後、ミャンマー国内外で抗議活動が行われています。日本国内でもZ世代と言われる若者たちがデモやビラ配りを続けています。Z世代は2000年以降に生まれた世代で、1988年の国軍による虐殺やその後の弾圧を知らずに育った世代です。彼らはSNSを駆使して情報を共有しています。ミャンマー国内で国軍による銃撃があれば、瞬時に世界にその事件が伝わります。1988年の時は、死者が数千人と言われていますが、いまだにその正確な人数はわかっておらず、どんな虐殺が行われたのかわからないままです。昔と違いSNSはクーデターに抵抗する有効な武器になっています。
私はアウンサンスーチーが民主的な政権を樹立した2016年3月に、勤めていた全国紙を早期退職し、ミャンマーに1年半滞在しました。長年、軍事政権が続いたミャンマーは当時、アセアンの中でも経済発展に唯一取り残され、「アジア最後のフロンティア」と呼ばれていました。そのミャンマーも民主的な政権が誕生し、外資がどっと流入して、ものすごい勢いで経済発展し始めました。この勢いでは数年後には昔の風景がなくなってしまうと思い、オートバイを購入してミャンマー全土を走り回り、まだ残されているアジア的ノスタルジーを撮影しました。
クーデター後、SNSには毎日、ミャンマー国内で起きている現状がアップされています。ただクーデターから時間が経つにつれて、その内容は過激になってきました。より悲惨な映像、よりむごたらしい遺体の写真など数多く流れ、世界の関心を高めようとしていますが、だんだん私はこの傾向に疑問を持つようになりました。見慣れないこのような映像を見た日本人は、きっとミャンマーという国がいかに怖い国、野蛮な国だと誤解してしまうだろう、少なくとも私が見てきたミャンマーは、アジアの中でも穏やかで美しい国だった。もちろんSNSで流されている映像は事実なのですが、このままでは本来のミャンマーのよさが伝わらない、そう思った私は撮影した写真を引っ提げて、各地で「素顔のミャンマー」展をやり始めました。
2021年5月7日~9日 静岡県沼津市・大中寺庭園

私の故郷、沼津にある古刹・大中寺の庭園を借景にした写真展を開催。ミャンマーは敬虔な仏教国なので、日本の寺院から発信することで支援したいという趣旨を大中寺が賛同してくれたことで実現できた。
このお寺は南北朝時代の高僧で後醍醐天皇や足利尊氏も帰依した夢窓疎石が創建した臨済宗妙心寺派の寺院。沼津に御用邸があった関係で戦前は皇族も訪問し、特に梅園がすばらしい。
日本庭園とミャンマーの写真の融合というアート的にも新しい試みだった。
2021年4月22日~28日 東京カテドラル聖マリア大聖堂

仏教だけでなく、キリスト教の教会もミャンマー支援に賛同していただき実現した。この写真展の主催は「ビルマ応援の会」で、「ミャンマーの平和願う写真展―アウンサンスーチーと家族の写真を中心に」に私が参加させていただいた。この会の代表である宮下夏生さんは、スーチーさんとはロンドンの留学生時代からの友人。まだ軟禁されていた時にスーチーさんの家族から写真を借り受け、写真展を通じて支援した。今回、再び軟禁されてしまったスーチーさんの解放を願い写真展を企画した。大聖堂は著名な建築家、丹下健三氏によって設計され、斬新なデザイン。
2021年5月18日~21日 神奈川県鎌倉市・カトリック雪ノ下教会

同じくカトリックの教会である雪ノ下教会から賛同をいただき、ビルマ応援の会主催の写真展に参加させていただいた。鶴岡八幡宮の参道沿いにあり、ロケーションは最高。
2021年4月25日 静岡市中心部・青葉緑地

この時期、まだ新型コロナがまん延していた時期で、写真展活動の中心は住んでいた静岡県中心となった。静岡県は語学学校があった関係で、県内全体にミャンマー人が約1000人、静岡市だけでも約500人が住んでいたため、静岡市でも毎週日曜日、Z世代を中心に抗議活動が行われていた。上記したように抗議活動だけでは本来のミャンマーの姿が伝わらないため、抗議活動をしていた「ShizuYouth for Myanmar」と協力して、「ミャンマーを知ってもらおうキャンペーン」を企画。これはミャンマー人の若者たちがミャンマーで起きている状況を紹介、私がクーデター前の素顔の写真を「青空ギャラリー」として路上に展示して、総合的にミャンマーという国を知ってもらおうという試み。
2021年5月23日 静岡市中心部・青葉緑地

一か月前に行った「ミャンマーを知ってもらおうキャンペーン」の2回目。今回も「ShizuYouth for Myanmar」とのコラボだったが、今回はちょっと趣向を変えて出身の民族衣装を着て来てもらった。ミャンマーは多民族国家なので、一口にミャンマー人と言っても人種は違っている。さまざまな民族衣装を見て、想像よりも静岡には多くの少数民族がいることがわかったが、中でも驚いたのは首長族の彼女。正式にはカヤン族(パダウン族)というが、まさか静岡でカヤン族と会えるとは思わなかった。
2021年6月 沼津駅前

5月に行った沼津市の大中寺庭園での写真展で、実は沼津市内にもミャンマー人が50人以上住んでいることが分かった。いくつかのグループがあるが、それぞれ知り合いではなかったのでつないであげたら、彼らの中で静岡市と同じように沼津市でも抗議活動を行おうということになった。そこで「ShizuYouth for Myanmar 沼津支部」を結成し、6月から活動を開始した。私も静岡市と同じようにコラボして路上写真展を開催。
21年9月22日~30日 東京・東本願寺

東京の方でも、キリスト教だけでなく、仏教界でも支援を表明してくださり、東本願寺の慈光殿の立派な部屋で、ビルマ応援の会と一緒に開催。
SNS投稿への「なむ」の吹き出しもお寺の方で用意されており、ちょっと借りて撮影。
21年10月31日~11月3日 静岡市民文化会館

静岡市でミャンマー支援活動をしている市議会議員さんたちを中心とするグループに誘われ、文化会館という大きな展示会場で、ミャンマー人たちも参加し、総合的なミャンマー展を開催。初日には犠牲になったミャンマー人の供養式典も行われた。
私はミャンマー14ある全州・全管区の写真を展示。全部で60枚もの大きな写真展となった。
21年11月 熊本市・老人ホーム「天寿園」

熊本にいる友人から紹介を受けて老人ホームでミニ写真展を開催。ここには技能実習生としてミャンマー人6人がいるが、入居者や職員の方々が、日ごろお世話になっているミャンマー人の祖国はどんなところか知りたいということで写真展が実現した。
ミャンマー人は大好評で、来日したときは大歓迎を受けた。あまりの評判のよさに、受け入れ側はミャンマー人のために寮を新築したほど。
21年11月19日~23日 鹿児島市・南泉院

鹿児島市中心部から車で約30分の山奥に位置するこのお寺は、鹿児島唯一の天台宗。このご住職は、昔からミャンマー支援活動を行っている縁で、研修道場を会場として写真展を開催。私もここに泊まり込んで、早朝はご住職のお経と説教を聞きながら座禅をした。
ちょうど山の中は紅葉の見ごろを迎えており、せっかくだから写真を庭園の中に置いてみた。以前、5月には沼津・大中寺で新緑の庭園の中で写真展を行ったが、紅葉を額縁とした写真展もなんともぜいたくで、記憶に残る展示となった。
21年12月4日~19日 東京・増上寺

毎年、「ミャンマー祭り」が行われていた増上寺ですが、新型コロナとクーデターで従来の形では実現できず、特別企画「慈しみのミャンマー写真展」という形で行われ、写真家4人のうちの一人として出展。展示会場はご本堂の真下で、業者が美術館並みに本格的なギャラリーを作り上げた。
オープニングでは本堂で読経も行われた。クーデター体制が長引く様相を見せてきて、いつもながら、みんなでミャンマーを祝えるような雰囲気がいつやってくるのか…。ちょっと考えさせられる写真展だった。
22年1月~3月末 沼津・旧加藤靴店再利用プロジェクト

沼津市駅前は過疎化が進んで、空きビルが多い。その空きビルを再利用しようとするプロジェクトに参加し、3階でミャンマー支援の写真展を3か月にわたって行った。
今回は、クーデター後にヤンゴンで拘束された北角裕樹さんと一緒に「クーデターの前と後、2人のジャーナリストが見たミャンマー写真展」と名付けた2人展とした。私たちは、ミャンマー支援をしたいけれど、展示するものがないと迷っている方々に、写真展が行える展示物を貸し出そうという「ミャンマーパッケージ」という構想を始め、そのテストとして今回の展示を構成した。地域おこしとミャンマー支援、この性格が違うことを一緒にやってしまおうという試みでした。
22年2月 戸田・「M’s877」(エムズバナナ)

沼津市戸田にある「M’s877](エムズバナナ)さんは、ここに移住される前からミャンマー支援をしている。クーデターから1年たち、写真展を企画。戸田にある店内は細長いが、その壁面にご自身の写真や、私や共通の知り合いである亀山仁さんの写真を展示していただいた。
沼津と言っても戸田は市内中心部から車で1時間近くかかる場所。お店の前はすぐに戸田港で、晴れていれば港の奥に富士山が見える素晴らしいところ。不便なところなので、それほど多くの人が来るところではないが、それでもミャンマー支援を何かやらなくては…という熱意はものすごいものがある。
22年4月17日~22日 静岡市・ギャラリー「集」

3月に静岡県内ではミャンマー支援で大きな動きがあった。今まで県内ではバラバラでミャンマー支援活動を行ってきたが、その力を結集しようということになり、県内のミャンマー人グループ「ShizuYouth for Myanmar」を支援する日本人グループ「ミャンマーの明日を考える会」を立ち上げた。その活動第一弾として、新静岡駅前にあるギャラリーを借りてミャンマー展を開催。
今までの支援活動で感じていたことは、ミャンマーのことを知らない人が多いので、支援の輪を広げていくためには、クーデターの経緯や背景などをじっくり説明する展示が必要だということ。ミャンマーのクーデターはほかの国よりも複雑なので、今までの写真中心の展示よりも解説展示を中心にした。
22年4月24日 静岡市・青葉公園

静岡市役所前の青葉公園の一角を借り切って、ミャンマー人と日本人が「ミャンマー応援フェスティバル」を開催。会場では、ミャンマー人たちの歌と踊り、写真展や似顔絵、それにミャンマー料理を提供した。静岡県内では、これだけの規模で行ったイベントは初めて。
当日はあいにくの大雨となってしまい、急遽、写真を展示する予定だったテントをミャンマー人たちのステージに譲り、写真はテントの外に張り付けて展示するという大変更もあったが、写真はラミネートで用意していたので、なんとか雨の中でももった。北角裕樹さんも静岡まで来てくれて、私とのトークセッションも行った。
クーデターから1年以上が経ち、全国的にも支援活動は行き詰まりを見せる中、だんだんとイベント的な要素が入るようになってきた。日本人の関心も薄れていく中で、ミャンマーの文化を味わえるイベントの方が楽しいし、ミャンマー人の方でも支援活動から脱落していってしまう人が増える中、結束を保てるというメリットもあるようだ。
22年5月1日 富士市・吉原商店街

3月に結成した「ミャンマーの明日を考える会」に入ったことで、静岡県内の支援者とのコラボ支援も気軽にやるようになってきた。富士市では「ミャンマー星」を作って支援活動をしている方々がいるが、吉原商店街で半日だけのミニ写真展をやるというので、同じ静岡県東部という縁で参加させてもらった。
吉原というところは東海道五十三次の宿場町なので、子供のころから名前は聞いていたが、実際に来たのは初めて。どちらかというと沼津駅前商店街のように過疎化が進んでいるような雰囲気があるが、その中でも新しく開店したコーヒー焙煎所ではミャンマーコーヒーを扱っていて、その店内で写真を置かしてもらった。意外と買い物客とお話ししているとミャンマーへの関心を持ってもらえたりする。こういう小さな支援活動もいいかもしれない…。
22年5月10日~22日 静岡市蒲原生涯学習交流館

沼津の旧加藤靴店で行った展示を見に来てくれた庵原新聞の社長さんが、「ミャンマーパッケージ」を静岡市の蒲原に呼んでくれた。蒲原は静岡に行く途中にあるが、今まで一度も寄ったことがなかった。初め、会場は地区の公民館だと聞いていたので小さいところだと思っていたが、実際に来てみたら生涯学習交流館は立派な建物で、その1階ロビーを展示スペースとして使っていいという。私と北角さんの写真、計60枚とクーデターの説明30枚を余裕で展示できた。
こういう形でミャンマー展示が広まっていってくれるのが理想で、とてもうれしい展示でした。
22年5月22日 沼津市・大岡団地

沼津市の大岡団地というところは、実は私が小学校から高校までの通学路の途中にあった団地。もう半世紀たっているが、当時の雰囲気はそのまま残っている。ここでは住民が定期的に「オオオカダンチマルシェ」という地域おこしを行われているので、ちょっと場違いな気がしなかったわけでないが、ミャンマーミニ写真展をやらせてもらった。
ここに来る層はもちろんミャンマーのことを知っているわけでないので、展示していてもほとんど素通り。しかしミャンマーで起きていることを話してみると、それなりに関心をもってくれたので、写真を持って撮影させていただき、それをFBにアップさせてもらった。この写真はきっとミャンマーにいる人々にも見ている…、すごい時代になったものだ。
22年7月 富士市立中央病院院内ギャラリー

5月の吉原商店街に続き、富士市の「ミャンマー星」さんに誘われて、病院の院内ギャラリー展示に参加させていただいた。まあ、地区の展示できる場所をいろいろ探してくるもんだな~と感心しながら展示作業。
私としては昨年12月、熊本市の機能病院でやはり院内展示をさせていただいたのだが、病院から評判は良かったという報告を受けていたので、病院というところでも関心を持ってもらえるものなのだと気づかされた。
22年7月10日 蒲原TOITAマーケット

5月に蒲原で行った写真展の時に宿泊したホステル「燕之宿」のご主人が中心になって、蒲原の地域おこし「蒲原TOITAマーケット」を定期的に開催している。蒲原は東海道五十三次の宿場町の雰囲気が県内で唯一残っている街で、この歴史街道をマーケットとしていろいろなお店が出店している。このご縁で、私もミャンマー写真展をやらせていただいた。
使わせていただいた家がなんと、昭和まで続いた和菓子屋さんの「吉田家」で、登録有形文化財に指定されている。展示をしているというよりも、旧家の雰囲気を楽しんだといった感じ。今回の展示で枚数は少なかったですが初めてミャンマーの一コマ風刺漫画で支援活動を行っている「WART」の作品もいっしょに展示させていただいた。
22年7月27日~31日 富士宮市総合福祉会館

富士宮市国際交流協会の招待で、総合福祉会館で「ミャンマー応援展」と題して展示を行った。ここも立派な3階建てで、1階ロビーを貸してくれたが、ここがちょうど広い円形なので、ものすごく展示が見やすい構造。今回は、私と北角さんの「クーデターの前と後」と、一コマ風刺漫画「WART」と本格的なコラボで、合計90点の大型展示となった。
取材で「WART」のカイン先生も富士宮まで来て、「ミャンマー星」の一日作り方講座に参加してくれたりして、にぎやかなイベントとなった。「ミャンマーパッケージ」と「WART」の展示は、クーデターの前の平穏なミャンマー本来の姿と、クーデター直後の抗議活動、その後の弾圧で自由な抗議活動ができなくなった現状で、一コマ漫画で表現せざるを得ないという時間的な経過を展示しており、内容としても充実していると思う。