
Asian Photographer
30年以上にわたりアジアを撮影してきた写真家。アジア好き、写真好き、そしてバイク好き。
全国紙の報道カメラマンとしてサラリーマン生活をしてきたが、日本のジャーナリズム衰退を憂い50歳を過ぎて早期退職。残された人生は自分の好きなアジアで楽しく生きようと決心し、気に入ったところにプチ移住するノマド生活を実践中。
とりあえず自己紹介
・静岡県の東部、沼津市生まれ。中学までは駿河湾を眺め、高校時代は富士山のふもとに通学。もしかすると、このころからちょっと旅好きだったかもしれない。

・もう一つの趣味はお墓巡り(笑)。小学生のころから歴史小説ばかり読んでいて、カメラを抱えて郷土の有名人のお墓を回るのが喜びだった。
その後、大学では日本史を専攻したのは自然の流れだったが、資料のための写真撮影にはまりこみ、歴史の勉強の傍ら写真教室に通う。習っていた先生が朝日新聞の元写真部員だったため、新聞社の就職試験を受けたら受かってしまい、全国紙の報道カメラマンとなる。新聞社では大方の取材を経験。悲惨な現場を取材する一方で、著名人のインタビューや旅の紀行など楽しい取材もあった。
初めての海外旅行
・アジアとの関りは大学生から。初めて行った海外旅行がインドだった。
人生初の海外の地はカルカッタ(現コルカタ)。ここでいきなりインド人に騙されてしまった。街角でチャイを飲んでいたら、親しげに男が話しかけてきた。「今度、私の妹が日本に留学に行くので友達になってくれないか」。連れていかれたのが絨毯屋。
ここで一人のネパール人と自称する男が店に入ってきて、「ここの絨毯は安い!仕入れてネパールに持っていく。お前たちも買った方がいい」と大量に買っていった。帰り際、その自称ネパール人はご丁寧にも「ネパールに遊びに来い」とネパールの住所を置いて行った。
私は喜んで親切なネパール人の教えに従って、初めての海外旅行でドルの価値もまだよくわかっていなかったにもかかわらず、高価な絨毯を買ったのだった。
・その後、彼を訪ねてネパールに行く。もちろん、手渡された住所などなかった。そこで初めて騙されたことに気が付いたのだった。その時、海外旅行というのはこういうものか、という絶望感みたいなものを味わうとともに、今後絶対にインド人には騙されないぞ、と誓ったのだった(笑)。
しかしこれがきっかけで、私はネパールにぞっこんほれ込み、その後ネパール通いが始まったのだった。首都カトマンズで病気になり、転がり込んだ学校の校長先生のお宅で親切に手当てを受け、ネパール人の親切さに感動。その後今に至るまで交流が続いている。
結局、私のネパール通いは、カトマンズ盆地のヒンズー教に関する写真展開催と写真集の出版に結び付いた。
・もちろん報道カメラマンは楽しいこともある。私の場合、旅の紀行企画など好きだった。悲惨な現場を経験するほどに、旅先で出会う、なにげない風景がいかに大切なものなのかを実感できるようになってきた。
戦国時代の武将、織田信長が好んで舞ったといわれる「人間50年」という詞章がある。私も昔からこの節を目標にしてきたが、その50年という区切りも過ぎてしまった。もちろん、現代の平均寿命80歳越という時代に、こんな区切りは意味をなさないという意見もあろう。ただ私の周りでも、天寿を全うできなかった友人が数人いるし、私が今まで見てきた現場で亡くなった方々も、まさか自分がここで亡くなるなどと思っていなかっただろう。そう考えると、人の寿命なんてあてにならないのだろう。そこで、これからの時間は大切に、そして楽しく過ごそうと決め、一足先に退職し、人生の”終活”をやり始めた。
一つの選択肢は、海外に移住してしまうことだ。それが可能であり、これほど恵まれた時代はないと私は思っている。特にこれから長い時間を生きていかなければならない若い世代は、まだ体力も時間も十分あり、多少の心配や失敗を克服できる。例えば第2次世界大戦の時を考えてみよう。当時、お国のためと言われて戦地に向かった若者たちは、戦争が嫌だからといって海外に移住できたであろうか。昔はそれができなかった。これから確実にやってくる日本の凋落を前に、何も手を打たないのは怠慢と言われても仕方ない。
そして日本人が海外移住するとしたら住みやすいのがアジアだ。アジアは食事もおいしいし、日本と同じ米文化だ。さらに今ではアジアの各地に日本食レストランが作られている。まずはアジアを旅して慣れていくことが、将来役に立ってくるに違いない。
・アジアンさんぽは、私のこのような思いから始めたサイトです。
このサイトのアイコンは、カンボジアで見かけた物売りの少女のシルエット姿だ。アジアはまだまだ貧しくて、行く先々でこのような子たちを目にする。できればアジアのどこかに根付いて、この子たちが少しでも幸せになれるよう、何か役に立てないかなと考えている。ただ困ったことに、いまだ移住先が見つからない。なぜなら、アジアはいいところがいっぱいありすぎるから。