ちょっと残念だったホテル エベレスト ビュー

最近、天気が変わり、一日中天気がいい日が続いている。10月は毎日、午後は雲の中に包まれて、とっても寒くなったのだが、11月後半になり、かえって温かい。ということで、クンデ村の横にあるシャンボチェの丘に出かけてみた。実はここにはホテル エベレストビューという名門ホテルがある。日本人が作ったホテルで、ここのレストランでかつ丼が食べられる。エベレスト街道で日本食が食べられるのはここだけなので、もう頭の中はかつ丼の妄想でいっぱいになっている(笑)


ネパール エベレスト シャンボチェ ホテル エベレスト ビュー


ネパール エベレスト シャンボチェ ホテル エベレスト ビュー

クンデ村からは普通に歩いても30分ほどで着くが、シャンボチェの丘からはエベレストが見えるので、写真を撮りながらゆっくりホテルに向かう。エベレスト街道には昔と比べてロッジがものすごく増えたが、ホテルというレベルはここだけ。エントランスもレセプションもロッジと違って高級感あふれている。


ネパール エベレスト シャンボチェ ホテル エベレスト ビュー

このホテルは、実はすごい歴史がある。作ったのは宮原巍さんで、現在はネパール国籍を取っている方。このシャンボチェの丘にホテルを建設しはじめたのが1970年。今でこそ荷揚げするヘリが飛び交っているが、当時はヘリなどなく、ホテルに使う石を一つ一つ運んだという。クムジュンやクンデの村人200人ほども参加した大工事だった。ほぼ半世紀たったいまでもこのホテルを越えるものが出てこないのを見ても、当時のコンセプトがすごかったことがうかがえる。


ネパール エベレスト シャンボチェ ホテル エベレスト ビュー


ネパール エベレスト シャンボチェ ホテル エベレスト ビュー

ホテル内もエベレスト街道では見られない高級感あふれる雰囲気。「なんだ、普通のホテルじゃないか」という方、ここは富士山の山頂とほぼ同じ高さであることをお忘れなく。


ネパール エベレスト シャンボチェ ホテル エベレスト ビュー


ネパール エベレスト シャンボチェ ホテル エベレスト ビュー

到着したのが午後1時過ぎだったのでテラスはすいていたが、午前中はこのテラスがトレッカーでいっぱいになる。ここからエベレストが見えるので、ナムチェバザールから高度順化するトレッカーがまずここを訪れるルートになっている。

さて、頭の中でいっぱいになっているかつ丼をさっそく注文したら、今日はできないという。このレストランには日本食のランチメニューがあり、チキンカツ丼、親子丼、カレーライスの3種類が選べるが、なんでも肉が冷凍されていてすぐに解凍できないというではないか。最近、エベレスト街道を訪れる日本人が減っていて、しかも日本食ランチメニューが25$という、他のメニューに比べて破格に高い値段ということもあり、注文があまりないことはわかるが、仮にもメニューにあげておきながら作れないということはないだろう…。ちょっとやる気のなさを感じてしまった。昔は日本人のマネージャーがいて、行き届いたもてなしがあったんだがね…。

そこでどうしたかというと、サンドイッチを注文した。前に書いたが、この辺のパンがパサパサで、焼くとボロボロと崩れてしまうのだが、高級ホテルではもしかすると違うパンを使っているかもしれないと思い、試してみた。結果、やっぱり同じパさパサのパンだった。この地域ではこれしか手に入らないのだから仕方ないか。


ネパール エベレスト シャンボチェ ホテル エベレスト ビュー



ネパール エベレスト シャンボチェ ホテル エベレスト ビュー

このシャンボチェの丘は本当に気持ちがいい。日向ぼっこしているヤクや昼寝をしているポーターたち。そして僕もこうなりました(笑)。


ぐっすり寝てしまっていたが、寒さで目が覚めた。そしてあたりが暗くなっていく中、エベレストが夕日を浴びて真っ赤に染まる。この光景を見られるだけでも生きててよかったと思う。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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