再びマンダレー

ミャンマーツーリング。11月にマンダレーを出発してから、ミャンマー南端、西端と回ってきた。その拠点となるのが出発点だったマンダレー。次の目標のミャンマー北部行きを目指し、3回目のマンダレー。

ネーピードーの朝


ミャンマー ネピドー

昨夜からネーピードーでは激しい雨が降った。乾季なのに雨が降るとは、ちょっと異常気象ではないか…。今後も要注意。朝、雨はやんでいたが、どんよりとした空は続いている。


ミャンマー ネピドー


朝食を食べに、フロントわきにあるレストランまで歩いて行く。敷地内には池があり、アヒルが住んでいた。


ミャンマー ネピドー 

午前7時45分、ホテルを出発。ホテル前の大通りに出てみると、車が一台も走っていない。朝だといっても、すでに出勤時間だろう。どうなっているのかな、この街?




ネーピードーの郊外では、広大な空き地にポツンと家が立っていたり、同じような家々が密集して立っている地区がある。この辺になると、おそらく下級官僚の家なのだと思う。首都といってもまだまだ整ってない。

国道1号線に戻る


ミャンマー ネピドーーマンダレー


ミャンマー ネピドーーマンダレー

ネーピードーの街から再び幹線道路の1号線に出る。昨日のネーピードーまでの道沿いでは、すでに稲が青々と延びていたが、この辺ではこれから田植えの準備が進められている。11月に出発したときは、シャン州で稲刈りが行われていた一方、南のパアンでは田植えが行われていた。地域によってかなり違う。


ミャンマー ネピドーーマンダレー


ミャンマー ネピドーーマンダレー

国道1号線を北上していくと、メイッティーラへの分岐点に差し掛かる。そのまままっすぐに進めば、メイッティーラの街を通らないで、直接マンダレーに通じている新しい道ができていた。道は舗装状態もよく、快適に走ることができる。


ミャンマー ネピドーーマンダレー


ミャンマー ネピドーーマンダレー

この新しい道沿いには、大きな街はない。あるのは素朴でのどかなミャンマーらしい風景。


ミャンマー ネピドーーマンダレー


ミャンマー ネピドーーマンダレー

新しいバイパスを走り抜け、道は旧道と合流。時間は午後1時、通りがかった街で昼食をとる。メニューはミャンマー語だけなので、困ったときの「カウスエジョー」。ミャンマー風ヤキソバだが、出てきて驚いた。量、多すぎ!


ミャンマー ネーピードーーマンダレー 雨雲

マンダレーに近づいていくと、昨日と同じように雨雲が出てきた。しかも今日はパラパラと雨が降ってきた。しばらく木陰で雨宿り。幸いにもそれほど本降りにはならなかったので、再び走り始める。が、雨雲とにらめっこしながら先を急ぐ。

マンダレー到着


ミャンマー マンダレー

午後3時過ぎ、その後、何とか雨にも降られずにマンダレーに到着。すぐに中心部の旧王宮近くにあるヤマハの正規販売店に、バイクのバッテリーを見てもらうために修理に出す。パテインの販売店ではバッテリーがなかったために、マンダレーまでだましだまし乗ってきたが、よく持ったものだ。さすがヤマハのバイク、まだ走れなくなるような故障がない。


ミャンマー マンダレー ヤマハ バイク

街を歩いていると、ヤマハDTがずらりと並んでいる。このバイクは往年の名車だが、日本ではもう生産されていない。ミャンマーでは新車では日本円にして50万円以上する高級車。だが、じつはここに並ぶDTのエンジンはヤマハ製ではない偽物だ。中国から輸入されているコピーバイク。


ミャンマー マンダレー 食事

夕食は地元のローカル食堂で。素朴であっさりとした味は日本人好みか。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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