パテインからバゴーへ

ミャンマーツーリング。結局6日間とパテイン滞在が長くなってしまったが、ミャンマーの滞在ビザの期限が迫っていたため、いったん出国しなければならない。そこでバゴーにいる知り合いにバイクを一時預かってもらうことになり、パテインからヤンゴンを経由してバゴーに向かった。

パテインいつもの朝食


ミャンマー パテイン 朝食

パテイン滞在中は毎日通った、ホテルから2軒隣の食堂。今朝も同じで、揚げパンとサムサを食べる。しかしこれも今日でおしまい。しかし毎日食べても飽きないところを見ると、この組み合わせは朝食としては私にとってベストのようだ。

午前8時50分、ホテルを出発。

パテインからヤンゴンへ


パテインからは、ヤンゴン・パテイン道路という幹線道路を東にまっすぐ走って行けばヤンゴンの北側に入る。この道路はミャンマー第4の街パテインを結ぶ道でもあるが、さらにその西にあるビーチリゾートのグエサウンに向かう人もいるので、それなりに道路事情もよく、交通量も多い。


ミャンマー パテイン-バゴー 竹集積場


ミャンマー パテイン-バゴー 竹集積場

途中、大小の川を越えていく。あるところでは、数多くの竹が川から陸揚げされて集められていた。上流から竹のいかだを組んでここまで運び、ここでいったん集めた後、どこかに運ばれるのだろう。


ミャンマー パテイン-バゴー 積載オーバー


ミャンマーでは、日本のように車に積める荷物の積載量の制限がないらしく、積めるだけ積んで走っている車をよく見かける。荷台にいっぱいに積まれた竹籠は軽そうだが、重そうな袋を車幅以上に積み上げて走っているトラックは、今にも積み荷が崩れそうだ。


ミャンマー パテイン-バゴー 積載オーバー

と思いながら走っていると、道端で本当に横転してしまっているトラックを発見。こぼれているのは氷だが、これも積載量を考えずに積めるだけ積んでしまった結果だろう。バイクでもし横を走っていたらと思うとぞっとする。


ミャンマー パテイン-バゴー 


ミャンマー パテイン-バゴー 

ヤンゴン・パテイン道路は、ミャンマーのレベルでいえばいいほうだと言えるだろう。舗装はされているし、それなりに整備されているようだ。この道沿いには大きな町はなさそうで、ひたすら田舎の風景を見ながら走る。


ミャンマー パテイン-バゴー 川


ミャンマー パテイン-バゴー 橋

エーヤワディー川の本流を超える。まだ河口まで100キロほどあるはずだが、この辺でもかなりな川幅がある。


ミャンマー パテイン-バゴー 船寺院

途中で変わった建物を発見! 外見が船の形をしているが、上にはチャイティーヨーのゴールデンロックを模した仏塔も置かれているので、この建物は寺院のようだ。実はカンボジアの首都プノンペンでも同じような船をかたどった寺院を見たことがある。そこはメコン川とトンレサップ川という2大大河の合流点だった。ミャンマーでも船の安全を願い信仰しているのだろう。


ミャンマー パテイン-バゴー 魚捕り

小川では小舟を出したり川に入ったりして魚捕りをしている。今晩の夕食のおかずになるかどうか、真剣勝負なのだろう。こういう田舎の風景を見るたびに和んでしまう。

ヤンゴン通過


ミャンマー ヤンゴン

午後2時前、パテインから160キロ走ったところで前方に大きな橋が見えてきた。この橋を超えるとヤンゴンだ。3か月ぶりにヤンゴンに足を踏み入れる。といってもヤンゴン中心部はバイクの乗り入れが禁止されているので、この橋を渡ってすぐに北上し、ヤンゴンの西北をかすめるような形でバゴーに向かわなければならない。


ミャンマー ヤンゴン


ミャンマー ヤンゴン


ミャンマー ヤンゴン 肉まん


橋を渡ってヤンゴンに入ったところの食堂で肉まんが蒸かされていた。昼食を食べてなかったので、ここで肉まんにつられてお店に入る。ついでに焼きそばも注文しランチ。

バゴー到着


ミャンマーバゴー ホテル


ミャンマーバゴー ホテル

昼食後、ヤンゴン空港の西側を走り国道1号線に入り、さらに70キロほど走ったところでバゴー到着。以前泊まったホテルでもよかったのだが、バゴーのような観光地にはホテルがいっぱいあるので、ほかに探してみた。幹線道路からかなり入った静かな住宅地に、Kanbawza Hinthar Hotelというコテージタイプのホテルがあり、外観は新しそうだったので今回はここに宿泊。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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