ミャンマーツーリング西端のシットウェ

ミャンマーツーリング。旅の恒例となった早朝の散歩は、ゲストハウスから歩いて行ける魚市場見学。さすがに海に面しているだけあって、魚の種類は豊富でしかも大きい。その後は昨日出発したミャウーまで戻る。

早朝の魚市場


ミャンマー シットウェ 市場 

早朝6時、ゲストハウスから歩いて5分ほどのところにある魚市場に出かける。まだ暗いが、市場前ではすでに屋台が出ていて、親子たちが朝食を食べている。海沿いにもかかわらず、とても寒そう。


ミャンマー シットウェ 夜明け


ミャンマー シットウェ 夜明け

市場の埠頭に立つと、対岸がオレンジ色に明るくなってきた。昨日、先端公園から海に沈んでいく夕日が見れたが、なぜ今朝は西岸なのに日の出が海越しに見れるのだろうかと不思議に思い地図を見ると、海だと思っていたのは川の河口だった。停泊している船の中でも火を焚いていて、とても寒そう。


ミャンマー シットウェ 夜明け

午前7時過ぎ、やっと太陽が姿を現した。魚市場には水揚げする船が集まってくる。手にした魚はかなり大きい。


ミャンマー シットウェ 市場


ミャンマー シットウェ 市場


ミャンマー シットウェ 市場

市場には豊富な種類の魚介類が売られている。小さなイカやカツオのような魚、あるいは日本では見たこともないような魚まである。セリは地面に置いたまま行われていた。


ミャンマー シットウェ 市場


ミャンマー シットウェ 市場

シットウェの魚市場はイギリス植民地時代の名残がある立派な建物。中もかなり広い。


ミャンマー シットウェ 魚市場


ミャンマー シットウェ 花売り


ミャンマー シットウェ 花飾り

市場前には花屋も並ぶ。屋台で花を買うと、その場で自分の髪に飾っていく意気なおばさんもいた。


ミャンマー シットウェ 時計塔

シットウェのメインストリートに警察署があるが、その敷地内に旧時計塔がある。見るからに古そうだが、風見鶏には1887年と刻まれている。イギリス植民地時代に作られたものだが、これだけ古い時計塔はミャンマーでもそれほど残されてはいないだろう。じっくり近くで見たかったが、警備が厳重な警察署の中なので、中には入れなかった。


ミャンマー シットウェ 旧家


ミャンマー シットウェ


ミャンマー シットウェ 朝食


ミャンマー シットウェ 朝食

魚市場からゲストハウスに戻る途中で、地元の人たちがおいしそうな朝食を食べているので、中に入って注文。小麦粉を焼いて、生のタマネギを添えるというシンプルさが朝食にふさわしい。

ミャウーに戻る


ミャンマー シットウェ 

午前10時40分、シットウェを出発。街の出入り口にある大きな寺院は仏塔の下にガラス張りの部屋がある斬新なデザイン。外にはユニークな姿の鬼のようなかっこうの像もある。


ミャンマー シットウェ-ミャウー


ミャンマー シットウェ-ミャウー

昨日立ち寄った駅には、同じように列車が止まっていた。中では親子がお弁当を食べているが、食べ終わるとすぐ近くの家に入っていったので乗客ではなさそう。昨日は牛が放牧されていたが、今日は水牛が水浴びをしていた。


ミャンマー シットウェ-ミャウー


昨日と同じ道を進み、ミャウーまであと40キロほどのところまで戻ってくると、大きな川がある。そのふもとには3階建ての大きな洋館が立っていた。建物としてはかなり大きいが、外観が少しいびつなので、一部壊れてしまっているのかもしれない。想像するに、この大きな川を利用したビジネスがイギリス植民地時代に行われていて、この洋館が事務所として使われていたのではないか。


ミャンマー シットウェ-ミャウー


ミャンマー シットウェ-ミャウー

この川を渡ってみると、道の向こうに、まるで通りを行き来する人々を見守っているかのように大仏の姿が見えた。橋から川を見下ろすと、川には船がいっぱい行き来している。

ミャウー到着


ミャンマー ミャウー ホテル

午後3時ごろ、ミャウーに無事戻る。前と同じくミャウー パレスに宿泊。シットウェの行き帰りの道は工事中の部分が多く、全身が真っ白になった。早速洗濯し、コテージタイプのベランダに干す。


ミャンマー ミャウー 食堂


ミャンマー ミャウー 食堂

ホテルで休憩後、夕方歩いて市場の方まで歩く。少し奥まったところに別のコテージタイプのゲストハウスがあったが、そこに併設された食堂があったので、夕食をとる。オーソドックスな野菜炒めとスープだが、疲れた体にはちょうどいい。食べ終わったら今日はこのままホテルに戻り休むことにした。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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