イエからモーラミャインまで133キロ

ミャンマーツーリング。今日はイエからモーラミャインまで戻ります。走行距離は133キロと短かく、この区間は行きにじっくりと見たので、途中どこにも寄らずにモーラミャインまで走りました。到着してから市内の古い教会を見学していたら、明日はカレン族の正月だと知りました。


ミャンマー イエ 朝食


ミャンマー イエ

水上寺院を見ながらの朝食

朝7時、ゲストハウスのテラスに出て朝食。前回と同じく水上寺院を見ながらの朝食は気持ちがいい。イギリス人のご婦人やドイツ人の夫婦など、相変わらずこの宿は白人の観光客で満室だ。なぜ、特段見学するところもないこの小さな街に白人の観光客が来るのか、いまだに理由がわからない。

モーラミャインの古い教会


ミャンマー モーラミャイン

午前9時40分、イエを出発。途中、暑くて1回だけ休憩しコーヒーを飲んだが、そのまま走り続け、午後1時、モーラミャインに到着。今回も川沿いのブリーズゲストハウスに泊まろうとしたが満室。しかしこの街では川沿いに宿泊したいところ。


ミャンマー モーラミャイン Ngwe Moe Hotel


ミャンマー モーラミャイン Ngwe Moe Hotel

そこで宿を探して川沿いを走ったところ、少し離れたところにNgwe Moe Hotelというホテルがあったので泊まることにした。値段は50ドルと、ブリーズゲストハウスの5倍以上だが、ミャンマーの地方では、このようなホテルらしいホテルも少ないので、たまには泊まってみるのもいいかと思った。


ミャンマー モーラミャイン 教会


ミャンマー モーラミャイン 教会

St.Matthews 教会

ホテルで少し休憩した後、市内見学に出発。ホテルから中心部に行ったところに、見るからに古そうな教会があったので入ってみた。人気はなかったが、裏に人家があり、そこに牧師さん家族がいたので中を見学させてもらった。ちょうど日本人のような若い女の子も見学しに来ていたが、彼女は台湾からだった。彼女も前にブリーズゲストハウスに泊まったことがあったようだが、ゲストハウスの汚さに耐えられなかったようで、今は別の宿に移ったと言っていた。


ミャンマー モーラミャイン 教会


ミャンマー モーラミャイン 教会

古いレンガを積み上げた教会の外観は黒ずんでいて、地震があったら崩れるのではないかと心配してしまうが、それもそのはず、なんと130年前の1887年に建設された教会だった。中はいたってシンプルなのだが、当時のミャンマーではすごく近代的な建物だったのだろう。説明ではこの教会は州教会と言っていたが、モン州を代表する教会という意味だろう。

明日はカレン族の正月


ミャンマー モーラミャイン 教会

ところで牧師さんが言うには、明日はカレン族の正月だそうだ。ミャンマーでは少数民族はそれぞれ正月を持っているのだが、その中でもカレン族の人口は多く、各地で大々的に正月を祝うという。この古い教会の近くに、もっと大きな教会があり、そこで明日式典が行われるというので行ってみたら、ちょうどカレン族の旗を掲揚する準備をしていた。明日の式典も来てもいいという許可もいただけた。


ミャンマー モーラミャイン 教会


ミャンマー モーラミャイン 教会


ミャンマー モーラミャイン


ミャンマー モーラミャイン

教会の見学後、再び川の方に戻る。市内には大きなモスクもあり、宗教的にもモーラミャインは混在しているようだ。


ミャンマー モーラミャイン YKKO

午後4時、昼食を食べてなかったのでおなかがすいてきた。川沿いにYKKOというミャンマー料理のチェーン店があったのでそこに入る。中途半端な時間なので客は私一人。店員はみんな暇そう。川に近いためか、あるいは清掃が悪いのか、店の中にハエがいっぱいいて、料理が出てきたらハエが寄ってくる。店員もこんなに暇そうにしているのなら、ハエ退治でもしてくれればいいのに…。


ミャンマー モーラミャイン 夕暮れ

夕暮れになり、日がだいぶ傾いてきた。イエから到着したときには川に多くの小舟が出て漁をしていたが、この時間は少なくなってきた。夕日に輝く中、家路につく舟のシルエットが美しい。


ミャンマー モーラミャイン 夕日

前回来たときは、裏山からきれいな夕陽を見たが、今日は川沿いから真正面にまん丸の夕日が沈んでいく。この街は夕日がきれいに見られる街だ。今日も無事暮れていくことに感謝を込めて

合掌!

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »