タニンダーリからダウェイまで282キロ

ミャンマーツーリング。今朝はタニンダーリの街を見学。この時期、ミャンマーの朝はとても寒く、山間の小さな街は深い霧にすっぽり包まれていました。その後はひたすらバイクを走らせ、ダウェイまで戻りました。

霧の中のタニンダーリ


ミャンマー タニンダーリ 霧

昨夜泊まったタニンダーリにある唯一のホテルだが、ミャンマーの地方にしてはなかなか快適な部屋だった。まだ新しいようだが、こんな田舎にも経済発展の新しい風が吹き始めているようだ。

早朝6時、まだ日が昇る前にそのホテルを出て、街の高台にある寺院へと向かう。


ミャンマー タニンダーリ 霧

正直、Tシャツだけではめっぽう寒い。あたりは深い霧の中でまだ眠っている。やがて日が上がってきて、タニンダーリ川の水面もだんだん赤く染まっていく。静かな中、川を横切る船のエンジン音だけが響く。


ミャンマー タニンダーリ フェリー


ミャンマー タニンダーリ フェリー

高台から下に降りていくと、ふもとにはフェリー乗り場がある。見ていると、運んでくるのは人だけでなく、バイクもこうして船に乗っかってくる。


ミャンマー タニンダーリ フェリー


ミャンマー タニンダーリ フェリー

タニンダーリには市場があるので、買い物にやってくるのだろう。小船はひっきりなしにフェリーの発着所を出入りしている。船からはちょっと変わった風体のお坊さんまで降りてきた。


ミャンマー タニンダーリ フェリー

後ろにめいいっぱいお菓子を積んだバイクが船に向かって降りていく。お菓子の一袋は軽いのだが、これだけ積めばかなり重そうで、バイクはよろよろしながら走っている。これから対岸にわたって、村々を回りながら商売をするのだろう。しかし間違って船に乗りそこなって川にでも落ちてしまわないか心配だ。


ミャンマー タニンダーリ 市場


ミャンマー タニンダーリ 市場

フェリー乗り場のすぐわきにある市場はもう開いて、買い物客でにぎわっている。朝食を食べる女の子もいたが、立ったまま食べていて、せわしない感じ。


ミャンマー タニンダーリ 市場


ミャンマー タニンダーリ 市場

市場の中に入ってみると、小さな街にしては広い。とりあえずここで一通りのものは買えそう。なぜか鶏肉をぶら下げたおじさんが上機嫌で帰っていく。


ミャンマー タニンダーリ 市場


ミャンマー タニンダーリ 先生

昨日の夕方に来たときはそれほど通りはにぎわってはいなかったが、やはり朝のほうが活気がある。ちょうど学校に向かう緑のロンジーをはいた先生たちもご出勤。


ミャンマー タニンダーリ 朝食

ホテルに戻って朝食。席に着くと、一つの皿に4つも目玉焼きが盛られて出てきた。ほかに宿泊客がいて、一人一つなのだろうかと思ったが、どう見ても宿泊客は私一人。卵4つは高い料金を払って泊まった外国人へのサービスなのだと理解したが、朝から卵4つはちょっと多すぎ。

豊かな農村風景


午前9時、ホテルを出発。走っていると、地面にオレンジ色をした果実を並べて干している農家がいた。この実はイエでも見たような気がするが、その時は何の実なのかわからなかった。初めはオレンジ色だが、乾燥させると黒っぽく変色してくるという。実はこれ、ビンロウの実だった。台湾やタイでも見かけたが、この実はたばこのニコチンのような作用があり、アジアでは噛みたばこの原料として使われるという。


ミャンマー タニンダーリ キンマ

この農家の方が噛みたばこを見せてくれた。干したビンロウの実を細かくして、キンマというコショウ科の葉っぱにくるんで噛むという。ミャンマーの各地で路上に血のような赤い唾液を吐きだしている人を見かけるが、その正体がこれ。まさにミャンマー国民が愛用する嗜好品だ。


ミャンマー タニンダーリ 

ビンロウの木はヤシ科の植物で、高さが30メートルほどにもなるという。近くの山腹に見える、背が高く幹が白い木がビンロウの木かもしれない。気が付くと、コータウン近くのパームヤシ畑の風景とはすでに違う光景の中を走っていた。


ミャンマー タニンダーリーダウェイ 農村


ミャンマー タニンダーリーダウェイ 農村

タニンダーリから1時間ほど走ると、行きにも立ち止まった美しい村に到着。どこにでもありそうな農村風景なのだが、思わず立ち止まってしまうほど美しいと感じてしまうのはなぜなのだろうか。しかしこういう風景も経済発展とともにすぐに変わっていってしまうのかもしれない。


ミャンマー タニンダーリーダウェイ 農村


ミャンマー タニンダーリーダウェイ 農村


ミャンマー タニンダーリーダウェイ 農村

当たり前の話だが、行きに見た時とは印象が違って見える。今日は前に見た時よりものんびりした雰囲気だ。同じところを通っても、時間帯が違えば人々の行動も違うということなのだろう。


ミャンマー タニンダーリーダウェイ 農村

農家の軒先に、行きにはなかった飾りがぶら下がっていた。何の飾りなのかわからないが、この間にクリスマスがあったのでその飾りか?この村には小さな教会もいくつかあるので、クリスチャンもいるのだろう。この教会もいい味出している。


ミャンマー タニンダーリーダウェイ 教会


ミャンマー タニンダーリーダウェイ 標識

午前11時、65キロ走ったところで、ベイとダウェイに向かう分岐点に出る。行きにはこの分岐点を通り過ごし、道を間違ったところだ。本当はもう一度ベイに寄りたかったが、寄ればダウェイ到着が夜になってしまうので先を急ぐことにした。まだダウェイまで235キロもある。


ミャンマー タニンダーリーダウェイ 闘鶏

この分岐点を過ぎて少し走ったところで、男たちが車座になって座り騒いでいる。何かと思って寄ってみると、闘鶏をやっていた。鶏たちはかなり獰猛で、飛び蹴りなどの技を披露してくれる。今は乾季なので農閑期なのだろうか、昼間から遊んでいる男衆たちだった。


ミャンマー タニンダーリーダウェイ Palaw


ミャンマー タニンダーリーダウェイ Palaw

午後1時、ベイとダウェイの間では一番大きいな町Palawに到着。ここでガソリンを給油する。といっても街の大きさはタニンダーリとあまり変わらないくらいの小ささ。市場には乗り合いバスでおばさま方が乗り付けていた。

ダウェイのキムチラーメン


ミャンマー ダウェイ 夕食

今日はタニンダーリを見学していたので、少し遅めの出発となってしまった。そのためPalawからダウェイまではひたすら走り続け、何とかぎりぎりで明るいうちにダウェイまでたどり着けた。宿は前と同じガーデンホテル。夕食も前と同じで「アマラ ロータス」に行った。今晩はミャンマー料理ではなく、キムチラーメンというのがあったので注文、まあまあの味でした。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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