マウンマガンビーチの地引網漁

ミャンマーツーリング。今日は早朝、マウンマガンビーチで地引網漁を見学。欧米人の人気が高いゲストハウスが満室で延泊ができなかったため、その後仕方なくダウェイに戻りました。

地引網漁のやり方


午前6時、日課の早朝散歩でマウンマガンビーチへ。ちょうど地引網漁が始まったので、やり方を見学することにした。このビーチに来た初日の夕方もやっていたが、一日中やっているわけではなく、満潮のころにやっているようだ。


ミャンマー マウンマガンビーチ 地引網

まずは小舟に漁師たちが乗り込み、少し沖に出航。海の中に網を入れていく。漁師たちは初めから舟に乗り込んでいくわけではなく、浜から波の中を入っていって乗っていく。


ミャンマー マウンマガンビーチ 地引網

沖で漁船が準備をしているころ、女性陣が民族衣装のロンジーを締め直しながら歩いてきて、所定の場所に着く。日本では「ふんどしを締め直す」ということわざがあるが、ミャンマーではそうではなく、ロンジーは1枚の巻きスカートなのですぐに緩くなってしまうので、しょっちゅう締め直している。


ミャンマー マウンマガンビーチ 地引網


ミャンマー マウンマガンビーチ 地引網

漁船から海に入れられた網を浜で徐々に引いていく。網を引く人は海の中に入って浜まで引くと、また海に入っていく。女性陣にとってはかなり重労働だろう。




ミャンマー マウンマガンビーチ 地引網

網が浜まで引き揚げらこれまた女性陣が魚を集めて浜に水揚げする。地引網漁が終わるのを妊婦さんやおばあちゃんたちは座って待っている。


ミャンマー マウンマガンビーチ 地引網


ミャンマー マウンマガンビーチ 地引網

地引網で揚がった魚は今日も小魚が多い。ただ初日の夕方の量よりも多く、バケツに7杯分ぐらいはある。浜で待っていた女性陣がこのバケツをどこかに持っていく。そして同じように地引網漁は続けられていく。

お葬式の会食


ミャンマー マウンマガンビーチ 食事


ミャンマー マウンマガンビーチ 食事

ゲストハウスに戻る途中、昨日見かけた、おばあさんが亡くなった家の庭に人が集まって料理を作っていた。今日がお葬式の日のようだ。またおじゃまして見ていると、おいしそうな料理が次々と出来上がっていく。


ミャンマー マウンマガンビーチ 葬式


ミャンマー マウンマガンビーチ 葬式

家の中では僧侶が読経をして帰っていく。その後は人々が棺の前で輪になって座っているが、日本のように湿った雰囲気ではなく、結構明るく談笑している。


ミャンマー マウンマガンビーチ 子供の食事


読経の後、葬式に集まった人々に、庭に設置されたテントの下で、調理されていた食事がふるまわれる。これは親戚だけではなく、近所の人など来た人はみんないただけるようで、私も誘われた。

ダウェイに戻る


ミャンマー マウンマガンビーチ 朝食

宿に戻って朝食。昨日と同じで、欧米人たちはまったりしている。ところで私の予約は2泊3日しか取れてなかったので、キャンセルが出てないかスタッフに聞くが、残念ながら満室。ここのほかにホテルが一軒あるが、そこも満室なので、ダウェイに戻るしかない。宿が少なすぎだ。


午前11時半、残念だがダウェイに向かって出発。途中、象の立派な彫刻がある寺院の前を通る。

予定通り45分でダウェイに到着。前と同じガーデンホテルに宿泊することにした。


ミャンマー ダウェイ ショッピングセンター

ダウェイの街に入ってすぐのところにミャンマーにしては立派で大きな建物がある。入ってみるとショッピングセンターだった。といっても日本のレベルと比べると大したものはなく、服や電化製品が売られている程度。


ミャンマー ダウェイ 駅


ミャンマー ダウェイ 駅

せっかくだからダウェイの街をもっと見てみる。地図を見ると少し郊外に駅があったので行ってみた。駅舎はものすごくシンプル。構内に入ったら線路が草で覆われている。これはどう見ても列車が走れないと思うのだが…。


ミャンマー ダウェイ モスク


ミャンマー ダウェイ モスク

市内に戻り走っていると、市場の裏側に大きなモスクがあった。塔の上には地球儀みたいなものが乗っている。イスラム教徒も結構いるのだろう。


そのモスクのすぐ近くに「Amara Lotus」というレストランがあったので、昼食兼夕食をここで食べることにした。店頭のケースにはホールケーキも並んでいる。メニューを見ると中華、ミャンマー料理がメインらしいが、寿司などの日本料理もある。ただ寿司はあやしいので無難にマーボー豆腐にしてみたが…。


ミャンマー ダウェイ ケーキ


投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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