手付かずのナブラビーチ

ミャンマーツーリング。今日はさらにいいビーチがあるということで、マウンマガンからナブラビーチに向かいます。ただ途中道を間違えて、全く違うところに行ってしまったハプニングも。

早朝のマウンマガンビーチ


ミャンマー マウンマガンビーチ

早朝6時過ぎ、日課となった早朝散歩でゲストハウスを出て、マウンマガンビーチに向かう。途中、すれ違った地元の女の子たち。ミャンマー人は意外とシャイで、写真を撮ろうとすると恥ずかしがって逃げてしまうのだが、この辺の子供たちは外国人の観光客慣れしているせいか、カメラを向けても堂々としている。しかし日曜日なのに、こんなに朝早く、どこに行くのかな。


ミャンマー マウンマガンビーチ


ミャンマー マウンマガンビーチ


ミャンマー マウンマガンビーチ 僧

ビーチは、まだもやがかかっていて、遠くがかすんでいる。朝からそこに朝の斜光線が差し込んで、なかなかの光景となっている。ちょうど漁船が海に出ていこうとしていた。僧侶が浜辺を行ったり来たりして散歩しているのも、ミャンマーらしい。


ミャンマー マウンマガンビーチ 犬


ミャンマー マウンマガンビーチ 犬

ミャンマーでは野良犬がどこに行ってもいっぱいいるが、このビーチにはやたら犬が多い。浜を一生懸命掘ったり、布切れで綱引きをやったりと、朝から楽しそうだ。




ミャンマー マウンマガンビーチ 葬式

ビーチの散歩を終え、ゲストハウスに戻ってくる途中、庭でにぎやかに食事の準備をしている家があった。大量の食事の用意をしているので大家族なのかと思ったら、実はおばあさんが亡くなって、葬式の準備をしているとのこと。家の中に入れと言われたので入っていくと、そこには棺に入った遺体が安置されていた。ミャンマーの人々は、死んでも生まれ変わると考えているので、日本人みたいに死をそれほど悲しまない。食事も結構楽しそうに作っている。


ミャンマー マウンマガンビーチ 料理


ミャンマー マウンマガンビーチ 料理

庭の台所は、単に石の上に鍋を置き、下で火をつけるという簡単なもの。これならどこでも台所になる。日本も昔はこうやって料理を作っていたのだろう。


ミャンマー マウンマガンビーチ 朝食


ゲストハウスに戻り朝食。受付があるロビーは独立した建物になっていて、そこで欧米人たちはごろごろしながら本を読んだりお茶を飲んだりしている。朝食はトーストに卵料理といたってシンプル。

ナブラビーチへ、迷いに迷う


ミャンマー マウンマガン-ナブラビーチ

ゲストハウスのスタッフによると、マウンマガンビーチから1時間ほどのところに、もっといいビーチがあるという。道は悪いが、オフロードバイクなら行けるということだったので泳ぎに行くことにした。午前9時20分、ゲストハウスを出発。村の中心部を出ると、すぐに未舗装の悪路となる。寺院には大きな仏像があり、その前の広場では子供たちがサッカーをしていた。


ミャンマー マウンマガン-ナブラビーチ

走っていると、ところどころに小さな村がある。ある村を通りかかったところ、お姉さんが大きな葉っぱを使い冠を作っていた。工業製品のおもちゃなどないミャンマーの田舎では、自然の物を使いながら遊ぶという、本来の子供の遊びをしている。


ミャンマー マウンマガン-ナブラビーチ

村には黄色と赤色の液体が入ったドラム缶が置いてあるが、これはガソリンスタンド。黄色がレギュラーガソリンで赤がさらに上質のガソリンらしいが、日本のレベルでは上質のガソリンがやっとレギュラー並みの品質だとか


161211ダウェイ経済特区


161211ダウェイ経済特区

マウンマガンから約1時間で荒涼とした地区に出た。道は赤土の未舗装だが、やたらに広い。ここはダウェイ経済特区(SEZ)に指定されている地区で、将来ここには広大な工業団地が出現する。ただ現在はまだ何もない荒れ地だった。


宿のスタッフによると、ナブラビーチは約1時間ということだったので、この近くにあるはずだ。ただ周りには何もなさそうなので、道をそのまままっすぐに走った。すると小さな村があったので、村人に「ナブラビーチはどっち?」というジェスチャーを示すと「あっち」というのでそのまま進んでいく。


しかしいくら走ってもビーチは現れない。不安になりながら10人以上の人に道を聞いたが、そのたびに「そのまままっすぐ」という答えだったので、そのまま進んでしまった。


ミャンマー マウンマガン-ナブラビーチ

途中、立派な家が十数棟立っているエリアがあった。なんだ、ビーチリゾートのようなホテルがあるじゃないか、と思い、ゲストハウスが満室ならここに泊まればいいや、とその時は思った。

しかしこれは後にゲストハウスにあった本を読んでいてわかったのだが、この住宅群はホテルなんかではなく、ダウェイ経済特区の建設予定現場に住んでいた地元住民の立ち退き用の家だったのだ。もちろん補償をもらっての移住なのだが、住民は仕事場や畑から離され、生活できなくなっているという。


ミャンマー マウンマガン-ナブラビーチ

この住宅群を少し行くと、小さな漁港に突き当たり、ついに道がなくなった。ダウェイ経済特区の予定地から22キロも走ってしまったが、結局道が間違っていたということだった。しかしなぜ10人以上にも聞いたのに、だれも正確なことを教えてくれなかったのか?


ミャンマー マウンマガン-ナブラビーチ

おそらく「ナブラビーチ」という言葉を理解できてなかったのではないか。ミャンマー人は外国人と話すときに結構固まってしまっている人が多い。質問を聞いているようで、実は聞いてなかったのではないかな。だからそのまままっすぐ行け、ということになったのではないかと思う。

やっと着いたナブラビーチ


元来た道を戻り、着いたナブラビーチはダウェイ経済特区の先にあった。結局2時間以上、50キロ以上を余計に走ってしまった。ナブラビーチにはちゃんと「0キロ」という標識が立っていた(泣)。


ミャンマー ナブラビーチ


ミャンマー ナブラビーチ

しかしナブラビーチはすごくよかった。ビーチに立って左を見ると、浜の終わりが見えないほど続いている。右を見ると寺院がある崖が終わりとなっているが、その間に誰も泳いでいる人がいない。今日は日曜日なのに誰もいない、完全なプライベートビーチだ。


崖の上の寺院に登って見ても、ビーチの終わりは見えない。到着したのはすでに午後2時ごろになっていたが、もったいないから2時間泳いだ。しかしこのビーチに経済特区の港が建設される予定になっている。残念ながら将来このビーチは消滅する。


午後3時40分、ナブラビーチを出発。マウンマガンに帰ってきたのが午後5時。やはり約1時間ちょっとの距離だった。聞いていた通り、道はかなりの悪路だった。ただ地元の女の子たちは慣れているので、ミニバイクでこの悪路をスイスイ走っている。こちらの方が排気量が大きいのに、情けないことに彼女らのバイクの後に付いていくのがやっとだった。しかし道を間違えなければもっと泳げたのに、と思うとちょっと残念。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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