午前はキリシタンの聖地、午後は仏教の大寄進祭

昨日、道を間違えたどり着けなかったタンダウングーが気になって、今日もう一度挑戦してみることにした。宿の若旦那によると、午後からはタウングー市内で一年に一回の大寄進祭というものが行われるという。

キリシタンの聖地 タンダウングー


ミャンマー タンダウングーー

午前8時半、ホテルを出発。昨日間違えた分岐点を今日は間違えずに進む。道はかなり標高を上げていく。昨日走った田舎の道と違って、この道は地元バスや乗り合いトラックなどが走っている。タンダウングーには多くの人が向かっているようだ。


ミャンマー タンダウングーー

午前10時、45キロほど走ったところで山の頂上に巨大な十字架のようなものが見えてきた。周辺にはゲストハウスや商店もあり、タンダウングーに到着。十字架があることから、どうやらキリスト教の聖地のようだ。


ミャンマー タンダウングーー

駐車場にバイクを置き、山の頂上に向かって坂を上っていく。ところどころに十字架の形をした個室があり、人々はここにこもってお祈りをしている。キリシタンのことはよくわからないのだが、ミャンマーの仏教寺院にも似たような個室があるので、このような個室は、もしかするとミャンマースタイルなのかもしれない。


ミャンマー タンダウングー

山の頂上まで登ってみると、下から見えた巨大な十字架は鉄骨でできているのが分かり、ちょっとありがたみが薄れてしまった。もともと古い聖地なのだろうけど、これはきっと観光地用として後付けされたものなのだろう。


ミャンマー タンダウングー

しかし頂上から見る景色はなかなかいい。急坂を上ってきても、すがすがしい風が吹き抜けて気持ちいい。ここが観光地としても人気があるのがよくわかる。

おびただしい物量の大寄進祭


ミャンマー タウングー 寄進祭

午後1時、タウンジーの街に戻ってきた。街の中心部では、すでに大寄進祭の準備が済んでいて、後は始まりを待つばかりとなっている。まだ始まるまでは時間があるのか、道端に陣取ったお姉さん方はお昼をにぎやかに食べていた。


ミャンマー タウングー 寄進祭

通りで待っている人たちは個人も多いがグループもいくつかある。同じ服を着ているので、会社として参加しているのだろう。しかし用意されている寄進物はおびただしい程の量だ。


ミャンマー タウングー 寄進祭

なかなか始まらないので、出発点となる寺院に行ってみた。すでに境内にはたくさんの僧侶たちが集合していた。市内すべての僧院が参加しているということで、毎年一回、この時期に行われているという。


そして午後2時、列が動き出した。先頭には両脇を支えられた高僧たちが数人、ゆっくり歩き、そのあとに各僧院のグループが続いていく。中には車いすに乗った僧もいる。

それにしても、先頭がかなりゆっくり歩いているので、後に続く僧侶は寺院を出るまでにかなりの時間がかかりそうだ。予想していたよりも規模がかなり大きい大寄進祭に違いない。


ミャンマー タウングー 寄進祭


ミャンマー タウングー 寄進祭


僧侶たちに寄進を行う人たちは、まさに老若男女で、ミャンマー人の信仰深さが感じられる。特に立っていることも苦しそうなおばあさんが僧侶に寄進するときに、周りを家族が囲んで助けるような姿は、年寄りを敬う国民性も現れている。


ミャンマー タウングー 寄進祭




ミャンマー タウングー

列の先頭には仏さまがみこしに担がれていた。それにしても街の中心部を進む列は延々と続いている。午後2時に始まった行列は午後4時になってもまだ続く。さすがに飽きてきて、泊まっているホテルの1号館が近くにあったので、そこで休憩をする。

ホテルの前の家には、バラの花が描かれた看板がかかっている。ミャンマー語なのでよくわからないが、きっと老舗なのだろう。


ミャンマー タウングー 熊

人が集まるところ、見せ物屋も登場。こちらは子熊だが、すでにかなり大きい。しかもちょっと暴れている。大丈夫かな?


ミャンマー タウングー 寄進祭

午後5時、すでに日がだいぶ傾いてきたが、行列はまだ続いている。どれほどの物が用意されたのだろうか。驚きである。高僧の足元には道に頭を付けて迎える市民もいる。信仰に対するミャンマー人のパワーはものすごい!


まだまだ行列が終わらないし、昼食も食べてないので、もうあきらめて夕食を食べに行ってしまった。といっても混雑しているので、近くの食堂でヤキソバで済ませた。

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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