宿がなく、ニャウンシュエへ

朝、起きてからフロントに行って予約状況を聞くも、今日は満室だという。午前中、他の宿にもチェックを入れるがどこも満室。仕方がないのでタウンジーを離れ、35キロ離れたインレー湖観光の拠点となるニャウンシュエの街に移動することにした。ここなら宿はいっぱいある。


161111タウンジーーニャウンシュエ

タウンジーは標高1430メートルと標高が高いところにある。だからこの時期、朝晩は結構寒い。ニャウンシュエは近いが、山の上から下に降りていくような感じとなる。途中、シャン州ののどかな田園風景が望める。


161111ミャンマー シャンカオスエ


161111ミャンマー シャン豆腐

シャン料理

ニャウンシュエには知り合いに紹介してもらったミャンマー人がいて、その方にお昼をごちそうになった。シャンカオスエという代表的な麺やトーフの料理。


161111ミャンマー ニャウンシュエのMay guest house

ついでに紹介してもらった宿がMay Guest House。こじんまりとしているが、庭などなかなか手入れがされている。宿のご主人は英語が達者で、欧米人の観光客が泊っている。ここならバイクを置く駐車スペースもあり安心。


161111ミャンマー ニャウンシュエ4


161111ミャンマー ニャウンシュエ5

午後は知り合いになった方の自宅を訪問。自宅の隣には管理しているお寺があり、近々行事があるらしく、近所の方が手作りで準備をしていた。




161111ミャンマーニャウンシュエの寺院

個人で寺院を持つことは大変らしく、修復を時間をかけてやっているとのことだった。かなり費用もかかるだろう。


161111ミャンマーニャウンシュエの寺院

その寺院を見せてもらったが、飾られている像がビルマ族の寺院のものと違う。シャン州の顔立ちはユーモアがある。

再びバルーンフェスティバル会場へ


161111ミャンマー タウンジーのバルーンフェスティバル


161111ミャンマー タウンジーのバルーンフェスティバル

にぎやかなタウンジーのバルーンフェスティバル会場

ご主人がタウンジーのバルーンフェスティバルに行くというので、一緒に車に乗せて行ってもらう。3日続きでお祭りを見ることになった。


161111ミャンマー タウンジーのバルーンフェスティバル


161111ミャンマー タウンジーのバルーンフェスティバル

お祭り会場にはたくさんの屋台が出ている。カラフルな練り物や日本のタコ焼きのようなものも売られている。


161111ミャンマー タウンジーのバルーンフェスティバル

161111ミャンマー タウンジーのバルーンフェスティバル

会場はすでに盛り上がっている。下にシャンデリアみたいなきれいな飾りを付けた気球が上がる。

仏さまが描かれたシンプルな気球はいかにも仏教国ミャンマーらしい。


そして今晩のお目当てはこの気球。

ご主人の地元インレー湖では毎年9月ごろに「ファウンドーウーパゴダ祭り」という大きなお祭りが行われるが、その様子を描いた気球が上げられた。地元の方々がチームを組んで作り、ご主人の知り合いも何人か参加しているという。余分な飾りがなくシンプルな気球だった。


161111ミャンマー タウンジーのバルーンフェスティバル

今晩も下に花火が付いた気球がいくつか上げられている。もともとは花火なんか付けずに気球をただ上げて雨季明けを祝うというお祭りだったのだろうが、年とともに盛大になっていったのだろう。

かなり上空まで上がり、成功と思われた気球に下の花火の火が燃え移り、巨大な火の粉が上空から降ってきた。やはりこの祭りは危険と隣り合わせだ。


161111ミャンマー タウンジーのバルーンフェスティバル


161111ミャンマー タウンジーのバルーンフェスティバル

お目当てのバルーンも無事上がり、ご主人は再び周辺の屋台を見て回る。会場のはずれの方にくると大音響が流れている大きなスペースがあった。ここにご主人が入ろうというので一緒に入ったら、ディスコだった。

入場料は5000チャット(約500円)とミャンマー人にとっては安くない値段だ。然し結構にぎわっていて、音楽とともに若者たちが踊っている。ミャンマーでは足首まで覆う民族衣装のロンジー姿がまだまだ多いが、壇上には街中では見かけない足をあらわにした女性たちもいる。普段娯楽が少ないミャンマーの地方では、お祭りの時にディスコで発散するようだ。

ご主人に付き合って、結局ニャウンシュエの街に戻ったのは午前3時半だった。フー、疲れた!

投稿者: asiansanpo

元読売新聞東京本社写真部。2016年3月、早期退職し、アウンサンスーチーの新政権が誕生したミャンマーに移り住み、1年半にわたり全土を回りながらミャンマーの「民主化元年」を撮影。2018年9月からは、エベレストのふもと、標高4000㍍の村で変わりゆくシェルパ族とともに9か月間生活した。日本では過疎地を拠点とし、衰退していく地方の実態を体験している。

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